『花真珠』

1955年の新東宝映画、主演は日比野恵子で、彼女は横浜の平沼高校の卒業生で、岸恵子、小薗容子らと同級、下には草笛光子もいた。平沼高校は、入試の基準にルックスがあったのか。日比野は日本鋼管に勤務していたが、ミス日本になり、新東宝に入っての第1作目。

船のデッキで「身投げか」と間違えた女性の島崎雪子を抱き留めた男が宇津井健で、彼は

「好きになってはならない人を好きになったので、帰国するのも苦しくて僕も飛び込みたいくらいだ」という。

その女性日比野恵子は、華族の香川家のおひい様で、香川家の農場で主任技師として働いていた宇津井は、結核で転地療養してきた彼女と知り合い、恋に落ちたのだ。

当初、宇津井は、華族様を保護しているとのことで、徴兵猶予だったが、戦局の悪化に伴いけれも徴兵されて中国に行く。そして、船で引き揚げてきて、港で大歓迎があるが、1955年のこの時点では、もうそれほではとも思えるが。

島崎は、日比野をよく知っていると言い、「私は香川の殿様が女中に産ませた子だからだ」という。原作は川口松太郎で、こうした本妻の子と、妾の子というのは、昔の小説にはよくあり、黒澤明の『姿三四郎』の原作にもあったが、黒澤はこれを全部切って簡単な筋にして成功している。

岸壁には、宇津井の同僚の鮎川香の他、元は農場執事だった田崎潤も来ていて、彼は島崎と前からの知り合いで、宇津井を巻き込んで一儲けしようと言い合う。

一方、香川家では家族会議が開かれていて、高田稔の父、三宅邦子の母、兄は中山昭二で、妹は池内淳子の配役。案件は、日比野が法性寺の門跡になることで、本人の希望だとのこと。日比野の大叔母・小夜福子の跡を継ぎたいとの強い意志なのだ。

日本に戻った宇津井は、東京の島崎のバーの二階に住み、田崎に騙され、英語と中国語に堪能なことで密輸の手助けをさせられている。そして、宇津井に600万円を分け前として渡す。600万とは相当な金額で、今でいえば億単位になるだろう。宇津井は、門跡になるための修行をしている寺に行くが、もちろん日比野には会えず、仕方ないので、金を寄付して去る。

ついには、田崎、宇津井らは警察に逮捕されて、裁判にかけられる。法廷になり、検事は丹波哲郎、弁護士は北沢豹、裁判長は三津田健、新聞記者には天知茂、松本朝夫などが見える。

宇津井は、600万円の使い道を自白していなかったが、その時傍聴席にいた日比野が出てくる。まるで『滝の白糸』みたいだが、やはり川口松太郎は劇の組み立てが上手い。

そして、自分のいる法性寺が寄付を受けたと証言する。

日比野に対して寺側の査問があるが、この時の日比野の反論が興味深い。

「偉い人や正しい人だけを救うのでしょうか、間違いを犯す衆生を助けるのが仏の道ではないか」と。これは、うがってみれば女性問題をいろいろと起こした監督阿部豊の個人の弁明のようにも見える。

そして、日比野は寺で修業することが認められ、その得度式が、小夜福子の主催で厳かにとり行われる。そこには家族らと共に、宇津井健も招かれている。

ここでは、二人の内心がナレーションで語れ、永遠の別離になる。

最後、宇津井健は、島崎雪子と新しい人生に向かうところでエンド。

日比野恵子は、華族の女性とのことで、抑揚のない台詞がぴったりしていた。彼女は美人だったが、新東宝では作品には恵まれず歌舞伎座プロに移籍し、篠田正浩の監督デビュー作『恋の片道切符』に出たりしているが、評判にはならず、女優は辞めたようだ。

阿部豊は、日本で最初にアメリカ的な映画を作った監督と言われたが、戦時中は戦意高揚映画を作り、戦後は不振だったが、これはましな方だと思った。1960年代に日活でつまらないアクション映画を撮っていた時よりは、はるかに良かった。

衛星劇場

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