大工場のシステム

映画『めぐりあい』は、黒沢年男の狂騒的な演技が不愉快だが、実際に勤める自動車工場(日産自動車)で撮影した作品で、当時の大工場のシステムが見られて大変に興味深い。
彼は最初は、乗用車の組立ラインにいて、部品を付ける作業をしているが、今はロボットの作業になっていだろう。
昼の食堂の昼食が凄くて、一列に並ぶと、大きな箱からトレーに載った料理が出て来て、順に工員はそれを手に取ってテーブルに行き食事する。
つまり、食事を出す機械があるのだが、こんな機械を初めて見た。
黒沢は、事故を起こしてラインを止めてしまい、上司の佐田豊と共に課長のような人に謝るが、組立部から鍛造部に異動させられる。
峰岸徹もいるそこは、最下部のようで、製鉄所のように部品の焼き入れを手作業でやっている。
当時は、こんなものだったのかと思う。
給料は、窓口に並んで、小さなチツプのようなものを渡し、名前を名乗ると封筒に入った現金を渡してくれる。

私が横浜市役所に入った1970年代も、当然に現金支給で、支給日は、庶務課職員が全員出て、現金詰め作業をする。
1円でも違うと駄目なので、慎重にやるので、大体午前中いっぱいかかった。
私がいた市会事務協では、職員の他に市会議員の給与も担当していたので、それぞれに一人づつの女性職員が充てられていた。
職員は毎月5日、議員は10日とずらしてあったので、調整して行う。特に議員の場合は、それぞれの議員ごとに参加している会(議員野球団、姉妹都市友好議員連盟など)、その他団ごとの様々な掛金があり、それを個別に引くので、結構大変に見えた。
今ではこんな事務を職員がするのは問題になるが、当時は誰も問題にしなかった。
ただ、ボーナスは、どちらも15日なので、12月15日は大変だった。
前にも書いたが、その総額が約1億円になり、私は、本庁舎から市会棟までの50メートルくらいの「運搬」を担当したが、相当に重かったと記憶している。
いつ現金支給を止めて銀行振込に変えたか記憶がないが、事務の効率化には大きく貢献したことは間違いない。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする