村社会だった日本

先日、ある方の講演で、近年は日本の民間企業も社内運動会などをやらなくなり、また課や部単位の懇親旅行等もなくなったと聞いた。
確かに、以前はそうした懇親会や旅行会、そして運動会と言った行事がやたらにあった。
バカバカしいと言えばじつに馬鹿馬鹿しく、また半分仕事のようで、なんでこんなことに付き合わなければいけないのか、と思えたものだ。
そして、そうした非公式な場で、問題のセクハラも起きた。
だが、よく考えると、こうした組織のあり方は、日本の企業、役所、団体、あるいは学校と言ったところも、実は大きな村のごときもので、その成員は村の一員として活動していたということだろう。
そこでは、互いが一つのヒエラルキーに組織化されており、いざと言うときには普通の論理、基準以外の人間的な対応でケアしてくれる。
わずらわしいが、実に暖かい組織だった。
だが、こうしたものは、バブルとその崩壊によって、急速に日本の社会からなくなったようだ。
グローバル化から見れば、そうしたものは遅れた慣習であり、合理化と効率化の観点からは無意味なのだから。
その例の一つは、民間企業の社宅だろう。
1970年代頃まで、大手企業は皆社宅を持ち、社員を住まわせていてた。
だが、近年はそれも減少しつつあるようだ。
「そんなものは有効資産活用で、売却してしまえ」という時代だそうだ。
横浜の磯子区汐見台は根岸湾埋め立ての進出企業等の社宅を中心にできた団地だが、最近は社宅が売り払われてマンションになっている。
これも時代の推移だが、こうした村社会の崩壊で、現在多くの職場で起きているのが「メンタル・ヘルス」問題であるのは、偶然ではないと思う。

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