『近衛秀麿』 大野 芳(講談社)

最近読んだ本で、一番面白かった。
近衛秀麿は、言うまでもなく戦前二度に渡り首相を務めた近衛文麿の弟であり、日本を代表する指揮者、作曲家であったが、こんなに優れた人だとは知らなかった。
彼は、戦前にベルリン・フィルの指揮をした唯一の日本人だった。
作曲家としても優秀だったらしいが、少し先輩である山田耕筰に比しても劣るものではなかったようだ。
そして、近衛の最大の功績は、現在のNHK交響楽団、当初の日本交響楽団、さらに新交響楽団、さらに戦後は、同じく現在の東京交響楽団になった東宝交響楽団、あるいは新日本フィル、ABC交響楽団等の日本のほとんどの交響楽団の創立に関わったのだ。そして、ことごとく失敗、挫折する。
また、女性遍歴も、兄の近衛文麿と同様にすごいのには驚嘆する。
だが、すべての手柄、業績は周囲にいる者に取られてしまう。
貴族の実際性のなさであり、人の良さ、お坊っちゃん性だろう。
晩年は相当に悲劇的というか、喜劇的で、1968年4月には、衆議院総選挙に民社党の候補として、京都から出るが、勿論落選する。
このときは、石原慎太郎、青島幸男、横山ノックらが当選した「タレント議員元年」だったが、近衛はすでにお呼びではなかった。
私は、彼がテレビの「11PM」に出て、出馬のことを述べているのを憶えているが、彼は自らを「僕なんか泡沫候補ですよ」と力なく自嘲していたのが極めて印象的だった。
このとき、彼は本当に金が全くなかったらしい。

クラシック音楽は、歴史的に見れば、王侯貴族を相手にした芸術だったわけで、もともとはその担い手も上層階級の者が多く、近衛のような貴族がやったのは、不思議ではないのだ。
その意味で、彼の失敗と挫折は、日本のクラシック音楽における「貴族の退場」の典型の一つだとも言えるだろう。
今日、クラシックはそれなりに盛んなようだが、それはまさに普通の市民の音楽である。

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