野村を見かけたのは、

野村克也が亡くなった、84歳。
去年、金田正一の葬式に出てきたとき、よたよただったので、「これはひどい」と思ったが、やはり早かった。

野村を実際に見たのは、1982年4月で、横浜スタジアムのスタンド下の通路だった。
これは、横浜ベイスターズの開幕戦で、普通は細郷横浜市長が始球式をするのだが、ちょうど市長選挙で出られないので、代わりに相川藤兵衛横浜市会議長が登板したのだ。
この時、評論家だった野村が横浜の役員に「おーす」と挨拶しながら歩いてきた。
「へえ、これが野村なの」と言う感じで、意外にも背が低いのに驚いた。
公称175センチだが、170くらいしかないように見えた。
だが、もちろん、がっちりとした筋肉質の体に見えた。

野村は、戦後初めての三冠王を取るなど偉大な打者だが、彼のホームランは結構せこいものだったと記憶している。
彼のホームグランドは、今はない難波の大阪球場で、ここは狭いので有名だった。
野村は、この球場で、レフトのポールぎりぎりにホームランするのだった。
内角低めの球を上手く打上げて、ポールぎりぎりに巻いて打つのは非常に上手かったと記憶している。
言ってみれば、落合のライトスタンドに打ち込むホームランと同じような感じの相当にせこいホームランだったと言えばわかるだろうか。
もちろん、それでも他の打者とは異なる記録をしていたのだから、凄いのだが。

監督になってからは、ID野球なるもので、これまた非常にせこい野球であり、いかにも「関西的」な発想で、私は好きではなかった。
もっと、のびのびとプロ野球の試合はしてほしいと思うのだ。
せこいのは、われわれの日常生活だけで十分で、野球のようなスポーツでは、のびのびとやってほしいと言うのが私の考えである。
しかし、日本の野球を変えた偉大な男のご冥福を祈る。

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