芸と演技の差

BSで放送している「昭和演劇大全集」には、番組放送前に女優高泉淳子と演劇評論家渡辺保さんの対談があり、これがとても面白い。

この2週間は、文学座の『大寺学校』と新派の『鶴八鶴次郎』だったので、文学座の俳優の演技、新派、さらに歌舞伎の役者の芸との差異、違いについての議論が大変面白かった。

芸と演技はどう違うのか。
一口に言えば、心理、内面があるかないか、だろう。
歌舞伎等の伝統芸能、さらに新派では、演技のすべてをほとんど型で処理してしまい、そのときの演者の内面がどうだったかは、問題にされない。
ともかく、それらしく見えればよいのである。
それに対して、近代劇では俳優の内面、心理が問題で、実際に俳優が、その戯曲に書かれた役と同じ心理になり、劇の展開に沿って心理が動いていくことが必要とされる。

その差は、極端に言えば、伝統芸では型になっていれば、心は問題ではなく、どんな心理状態でも演技は成立してしまうことになる。
型の動きと台詞がきちんとできていれば良いことになる。
最も、そう単純ではなく、型を成立される心もあるわけだから、全くの無心で型ができるわけではない。

渡辺さんは、非常に面白いことを挙げていて、『鶴八鶴次郎』で、水谷八重子は、新派芸の伝統で、鶴八を型で演じているが、中村勘三郎は逆にここでは、極めて心理的に演じている、というのだ。
型、芸、演技と言っても、それは絶対ではなく、作品や相手役によっても微妙に変化するものなのだ。
その辺が演劇、芝居の面白さである。

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