大衆文化は相互に影響しあうものだから

お好み焼きの日というものがあるらしい。
このお好み焼きが関東で普及するようになったのは、多分戦後のことだと思う。
「もんじゃ焼きは、どうなのだ」といわれるかもしれないが、確かに色川武大さんの本で、もんじゃが戦前に東京の下町にあったことが書かれていた。
だが、大きな店でお好み焼きがやれられるようになったのは、関東では1950年代後半だと思う。
もちろん、関西や広島には古くからあり、これのルーツは、韓国料理の「チジミ」だと思う。
この東京の下町に、もんじゃがあったのも、そこには戦前から朝鮮系の人がいたからだろうと思う。
関東大震災での朝鮮人系への虐殺もあったように、多くの朝鮮系の人はいたのだ。
焼き鳥や、その他の料理で韓国をルーツとするものは多い。
また、韓国は、何でも物事のルーツは韓国だという言説があるようで、それを笑う日本側の言説もある。
だが、こうした言説は、大衆文化に於いては本質的に無意味なのだ。
小説などのように、近代の個人の創作を基とするものとは異なり、大衆文化に於いては常に相互に影響し合うものなのだ。
だから、映画でも『新幹線大爆破』が『スピード』にされ、手塚治虫の漫画が『ミクロの決死圈』や『ライオンキング』に変換されている。
日本の大佛次郎の「鞍馬天狗」も、元は『紅はこべ』である。
大衆文化というのはそうしたものなのである。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする