叙勲について

Admiral Togo Heihachiro in Dress Uniform (Photo by Library of Congress/Corbis/VCG via Getty Images)

今朝の朝刊に叙勲が出ている。
前にも書いたが、叙勲も結構面倒な作業である。
以下に、前に書いた記事を載せる。

この叙勲の手続きも非常に面倒なもので、私も横浜の市会事務局にいる時、その事務作業を横で見ていて、文章の読み合わせを手伝ったことがある。まず、希望する者の履歴、功績調書を作る、まあ美文、作文である。それを横浜市総務局の秘書課を通じて、神奈川県、そして総務省章勲局に提出して貰う。こういう事務は、すべて市からはできず、県を通じて行うことになっている。ここから先は、行政職員のものではなくなり、議員の仕事になる。国会議員の出番で、大抵は、県選出の自民党の参議院議員にお願いをするのだそうだ。金銭が絡むのかどうかは、われわれは関知しない。まあ、平安時代から「売位売官」は、貴族の収入源の一つだったのだから、参議院議員は現代の貴族だったのかもしれない。それくらいかつての参議院議員は、お暇だったわけである。
さて、なぜこのように皆さんは、勲章を欲しがるのだろうか、ある方に聞いたことがある。
答えは次のようなものだった。「人間には、食欲、性欲、名誉欲の三欲がある。この内、食欲と性欲は死んだら終わりだが、名誉欲、つまり叙勲は墓に刻めるので、死んでも残るからだ」そうだ。
墓に刻んだところで、どうだと言うのかとは思うが。
ところで、私の父も勲章を貰っている。学校の校長をやっている時に死んだので、死亡叙勲で、勲何等かを貰った。こういうのは例外なので、極めて早く手続きしてくれるもので、父の正式な葬式の際は、祭壇に飾られていた。
もちろん、父の墓には勲位などは刻まれていない。生前に死者を知る者の心に刻まれていればよいのである。

この叙勲の一覧を見るとそれぞれの事務局で作業された方がいられたのだなと推測する。
ご承知のように、今は「勲何等」の勲位がない。
これも面倒なもので良いと思う、「俺は何等だったのに、なぜあいつは何等なのだ」とよく言われたものだからだ、
いずれにしても、私には関係ないことである。
ただ、叙勲されると祝いの宴会等をせねばならず、叙勲者は大変なものらしいが、皆やるのだから嬉しいのだろう。

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