新東宝に「忠臣蔵」があった 『珍説忠臣蔵』

「忠臣蔵」について、戦後の日活と新東宝にはないと書いたが、新東宝にはあった。
1953年の『珍説忠臣蔵』だった。
喜劇と音楽劇、文芸映画が、新東宝の売り物で、これは元々東宝の本質で、新東宝がそれを受け継いでいるのは当然なのだ。
新東宝というと、エロ、グロとくるが、これは大蔵貢以降のことなのである。

芝居小屋で、「「忠臣蔵」が演じられていて、川治竜子の浅野内匠介が伴淳三郎の吉良上野を斬りつけようとする。
田崎潤の武士が舞台に駆け上がって来て、吉良を批難し、本当に斬ろうとし、伴をはじめ、皆が「芝居です」と抗弁するが大混乱になる。
この伴淳は、吉良とこの役者の二役を演じる。
次は、京都の島原の遊郭になり、大石内蔵助の古川緑波は、遊女と遊んでいる。
そこに吉良側の間者の横山エンタツが、大石の本心を探りに来る。
同様に、花菱アチャコの利平が、大石は討ち入りをすると思い込み、最後は「利平は男でござる」と言う。
このアチャコ・エンタツは言うまでもなく吉本で、吉本は戦前から東宝と提携したいたので、新東宝にも出ている。
二人の中では、アチャコの芝居が上手いのに感心する。
もちろん、最後は討ち入りとなり、二人の吉良が引き出され、二人とも「自分は違う」と言い張る。
ここで、吉良は米を買い占めて儲けたり、女を沢山引き入れるなど本当に悪党とされている。
米の買い占めというあたりは、戦後的であり、監督の斉藤寅次郎は、結構社会批判がある。
吉良の首を掲げて江戸市中を行進すると、遥泉院の花井蘭子や戸田局の清川虹子なども喜んでいる。
八住利雄の脚本だが、喜劇にしてはあまり笑えるところはない。
それは、当時と現在の笑いの質の差である。
これは、新東宝の1953年の正月映画であり、この次は鶴田浩二と岸惠子共演の大作『ハワイの夜』である。
当時は、東宝もまだ大争議の痕から完全に回復してはおらず、新東宝には力があった時代である。

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