最初に驚いたのは 横浜市会で

1972年4月に横浜市役所に入り、市会事務局で勤務することになったとき、大変に驚いたことがある。
それはなんの問題か忘れたが、市会で意見の対立があり、膠着状態になったときのことだ。
それが、あるとき、急に与野党(この場合、与党は飛鳥田社会党で、野党は自民党だった)の合意が取れたので、委員会、さらに本議会を開くことになったというので、非常に驚いたのだ。
私たちが学校で習ってきたことでは、
「会議は議論をする場で、いろんな意見を出して物事を決める」はずだった。
だが、日本の社会では、「結論が出たので、それを確認する場として会議がある」とのことだ。
これは、どうしてなのか。
それは、アジア的共同体ゆえだと私には思える。

ウィツトーホーゲルのアジア的共同体論によれば、中国に典型だが、米作のために大規模感慨施設が必要で、そこには帝王による指揮によって施設が作られて、総体的に奴隷的な民衆が従事するという形態があった。
それは、一人の帝王と他の全員が奴隷という社会で、これは日本にも当てはまると思える。
だから、そこでは意見の相違があってはならず、会議でフリーに意見を交換して決めることは避けられるようになる。
会議は、あらかじめ決まっていることを再確認する場になってしまうので、それは現在もあまり変わっていないように見える。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする