『静かなる決闘』

『静かなる決闘』は、黒澤明の映画の中では、最も評価が低い作品の一つである。
だが、私は昔から注目してきた。
その理由は、黒澤の本音がよく出ているように思えるからだ。
本音とは何か。
黒澤の戦争への負い目である。

2006年3月24日と4月6日にも書いたことだが、大変不思議なことに黒澤明は徴兵されておらず、戦争に一切従事していない。
多分、東宝が会社として黒澤の徴兵を猶予させたのだと思う。東宝はそれができる、軍に大変受けの良い会社だった。
黒澤と同年代の木下恵介、今井正、新藤兼人、また東宝では黒澤の助監督を務め、後に東映で警視庁シリーズを監督した小林恒夫らも、すべて従軍、または徴用されている。
あるいは、高齢の小津安二郎や溝口健二ですら、軍属として外地に派遣されている。
黒澤よりはるか上の大岡昌平も、フィリピンまで行っていた。
あの偉丈夫で、恐らく甲種合格のはずの黒澤が徴兵されなかったのは、信じがたい。
映画監督の堀川弘通によれば、あるとき黒澤に聞いたところ、徴兵検査で検査官が父親の知り合いで、彼の判断で「兵役免除された」と答えたそうだが、多分本当ではないだろう。

勿論、私はそのことを非難しているわけではない。
多分、黒澤の知らないところで会社の幹部が決めてやったことであろう。しかも、戦後社会の「反戦ムード」から見れば、徴兵忌避や猶予は決して非難されることではなかったはずだ。
だが、本来真面目で、しかも父親が軍人であることにより兵役免除された黒澤は、戦争に参加しなかったことを自分の致命的な負い目のように思っていた。
そして、それをずっと映画の中で描いている。
皮肉なことに、戦争の問題に最後まで拘り続けたのは、左翼作家ではなく、戦争への負い目を持っていた黒澤だった。

『静かなる決闘』の主人公の医師三船敏郎は、戦時中に野戦病院で不注意から患者のヤクザ植村謙二郎から梅毒に感染してしまう。
帰国後、婚約者の三条美紀から婚約履行を迫られるが、断る。
理由を聞く三条に彼は、その理由を言うことが出来ない。
この三船の苦悩、戦争へのこだわり方は異常であり、今はない桜木町の横浜ニュースという映画館で見たとき、これは何だと思った。
答えは、黒澤の徴兵猶予である。
「俺は、あの戦争に参加しなかった」という負い目は戦後の黒沢作品の根底をなすものである。
『七人の侍』の最後の志村喬の「勝ったのは我々ではない、百姓たちだ」との台詞は、黒澤の自分は戦争に参加しなかったことの言い訳のように見える。

勿論、黒澤も戦時中は『一番美しく』のような扇情的な映画を作り戦争に積極的に協力している。
だが、それは映画製作という、言わば安全な場所で国民を指導し、煽るものだった。
戦場で生死を掛けて戦ったと言うものではなかった。

戦前の黒沢は、『姿三四郎』を代表に、マキノ雅弘や森一生のような娯楽映画監督である。
それが、戦後全くシリアスなものに変わるのは、こうした黒澤自身の苦悩からだと思う。
そして、この苦悩こそが黒澤の作品の軸、倫理性だった。
だが、日本の戦後社会から戦争の記憶がなくなり、戦争責任論も反戦運動も消滅した昭和30年代後半以降、黒澤映画は急速に倫理性を失い、無意味化する。
『天国と地獄』が多分最後の秀作である。
『用心棒』や『椿三十郎』の単純娯楽作品の面白さはともかくとして、『赤ひげ』では異様な世界になってしまう。

晩年の傑作とは言いがたい作品『夢』の中で、暗いトンネルから兵士たちが行進してくる不気味なエピソードは、戦後ずっと、この負い目に苦しめられてきた黒澤自身の心情だと思う。
失敗作には、秘密があるというのが私の考えである。
この次は、小津安二郎の失敗作と言われる『東京暮色』について、考えてみたい。

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コメント

  1. PP より:

    Unknown
    これは素晴らしい卓見ですね。

    『東京暮色』についても期待しています。