コーンウォールが出ていた


テレビで、阪神・DeNA戦を見ていて、宮本の解説がさすがだなと思い、阪神3連勝で終わるとイギリスの西海岸のコーンォール地方の映像が出ていた。

ここは、イギリスの最西の地方で、私は1988年8月にそこで行われていた「WOMADフェステイバル」を見るために行った。
ロンドンのヒースロー空港から、ブライモン航空のデ・ハビランド機で向かう。「フェースン・ユア・シートベルト」の下に見慣れない文字が書かれていたが、多分ブリトン語だろう。

プリマス空港に着くが、そこは丘の上で、20人ほどの客は、迎えに来ていた車ですぐにいなくなってしまう。
駅まで行かなくてはならないので、カウンターに言うと、すぐにタクシーが来て、駅まで降りてゆく。
そこから、鉄道で海上のサン・オーステレルまで行き、WOMADを見て、その日にきた田村光男と一緒に、向こうの事務局のトーマスらと話し、横浜で開催することを決めたのだ。このときは、1990年夏だったのだが、パシフィコ横浜のオープンの予定が1年遅れたので、1991年になった。

このコンウォール地方は、イギリスの西の外れで、映像でも見るように、小高い丘と切り立った崖が続き、その中心に港町のプリマス港がある。
ここから、清教徒がメイフラワー号でアメリカに出て行ったのか、と思った。
随分と彼らは、イギリスで追いつめられた後のことだなあと思ったのだ。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする