演説の、その後は


朝日新聞のBEに、福沢諭吉が、日本で初めて演説を始めたことが出ていた。
それまで、日本には演説はなく、上から下に物を言い渡すのが普通だったとのこと。
そして、三田の慶応の本部には、その演説館が今もあることが載っていた。
だが、もう一つ、この演説が生んだ大衆芸能が、演歌であることが抜けていた。
これは、明治時代に自由民権運動の趣旨を盛り込んだ「演説の歌」として、演歌が生まれたのだ。
『オッペケペ節』などがそうだ。
1960年代の、「男と女が好いた離れた、私を捨てないで」のエンカではないの。
だから、五木寛之が、演歌と区別して「怨歌」と言ったのも、それなりに間違いではないとも言える。

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