赤塚不二夫死す

漫画家赤塚不二夫が死去された。
私は、漫画が苦手で、読むと頭が痛くなり(理由は乱視であることが40代で分かった)、小さいときから読まなかったが、例外が赤塚とつげ義春で、独身時代は愛読した。
赤塚のギャグのセンスは大変なものだったと思う。
何しろ、あのゴジラが「シェー」をやったのだから、その流行たるや、大変なものだった。

赤塚プロには一度だけ行ったことがある。
大学1年のとき、学研(学習研究社)のアルバイトをやっていて、「高一コース」だったと思う。
原稿取りで、いろんな作家の家に行ったが、その中に漫画家もあり、新宿十二社(しんじゅくじゅうにそう)にあった彼の事務所ビルに行った。
そこは、当時は十二社温泉などがあった新宿のはずれで、西口公園の近くである。
夕方で彼もいたように思う。
彼の著作では、自伝『笑わずに生きるなんて』もあり、これはとても面白い。
その中では、終戦直後に町で美空ひばりの『悲しき口笛』を聞いたときの感想が面白い。ひばりの歌声に「まるで自分のことを歌っているみたいだ」と感じたそうだが、実に鋭いではないか。美空ひばりが出るまで、日本の歌謡曲に子供の気持ちを歌った歌などなかったのだから、その意味でも『悲しき口笛』は画期的だったのだ。そして、『悲しき口笛』は当時としては破格の30万枚が売れたそうだ。戦前から、戦中期くたいもヒット曲と言っても、せいぜい数万枚だったらしい。

漫画家死亡記事で新聞の一面に出るのは大したものだが、それだけ社会的影響力のあった方というべきだろう。
ご冥福をお祈りする。

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