オリンピックに反対の理由

日本維新の会の橋下徹が、IOCのコーツ氏を「特権的」と批難したそうだ。
今更、なにを言っているのだと思う。
オリンピックは、もともと欧州の王侯貴族のサロンの遊びの一つとしてのスポーツ大会だったので、特権的なのは当たり前である。
そもそも、スポーツは、「遊び」の意味で、日々、そんな遊びをできるのは、金持ちしかいなかった。
もちろん、肉体労働の連中もいたので、彼らを排除するために「アマチュア規定」があり、下層階級を排除するのが目的だった。
NHKテレビの『いだてん』のヘルシンキ五輪の時の、日本の代表選考でも、「人力車夫、郵便夫」など走ることを職業とする者を除外しており、大学生の金栗が選ばれたのだ。映画『無法松の一生』の無法松は出られない。

このように、五輪は、もともと特権的なものである。
今年の五輪大会に開催に反対の理由は、まず開催の意義がないことがある。
1964年の東京五輪には、戦争からの日本の復興とアジアでの最初の大会という意味があった。
今、日本、東京から世界に発信すべきメッセージがあるだろうか。
「復興五輪」など、もともと嘘であり、冷却水の放水なども実施されるとき、「アンダー・コントロール」も大嘘である。
さらに、五輪の他に、今やあらゆるジャンルで、世界大会やワールドカップがあるので、特別に五輪をする意義はない。
しかも、これらは、商業的に成立しているのだから、わざわざ三兆円もの税金等を投入してやる必要がどこにあるのだろうか。

やるとすれば、五輪でないと成立しないマイナー・スポーツがある。それらは、五輪という場でやって世界に広報宣伝することは意味がある。
その代表例が、柔道で、1964年の東京五輪で初めて開催され、その後世界中に普及して、今日では世界大会も行われている。
この意味では、野球はマイナーなスポーツなので、五輪で開催して世界に普及させてもらいたいと思う。
それは無理で、次のパリ大会ではやらないそうで、まことに残念なことである。

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