昭和20年代的

4月に新たに栄図書館長になり、全国の新任図書館長研修を受けているので、今週は火曜日から神奈川県立図書館に通っている。
本来は、上野の国立教育政策研究所が会場なのだが、パソコン中継で見られる仕組みなので紅葉丘で聞いている。

そして、この県立図書館は、大変失礼だが「昭和20年代的」である。
昼休み、地下の食堂に行く。
「いまどき、こんな食堂があるのか」という、昔の大学の学食のような「安くて、不味い」、やたらに広く閑散とした食堂。

この図書館を閲覧、貸出で利用するためには、まずカバンはロッカーに入れないと内部に入れてくれない。
「人を見たら泥棒と思え」との思想。
入口には高齢者の守衛さんがいる。民間のガードマンではなく、県の職員のようだ。

書棚に並んでいるのは、私が20代の頃に「良書」と言われた本ばかり。
最近のベストセラー等は一切ないという「良識ある」開架ぶり。
利用者は極めて少なく、すぐ近くの野毛山の横浜市中央図書館が、横浜駅西口のごとき雑踏であるのとは大違いで、静かで落ち着いた室内。
利用者の数と職員の数が同じじゃないか、と思うくらい極めて少ない。

昔、森田芳光の『阿修羅のごとく』で、娘の深津絵里が図書館職員で、カード式の図書館だったので、いまどきそんな図書館があるか、とびっくりしたが、神奈川県立図書館は、それに近い「昭和20年代的」である。

この紅葉丘は、かつては神奈川県文化センターと言い、図書館、音楽堂、青少年センター、婦人会館があったが、いずれも陳腐化している。
20年くらい前には、県立図書館は相模原あたりの西部に移転させ、その跡地を含めて再開発し、「大文化センター」を作る構想もあったが、県は全く金がないので、それも消えた。
道路の反対側には、伊勢山皇大神宮が経営していた「ホテル海洋亭」があったが、倒産し解体工事が進められている。跡地はマンションらしい。
高齢化の今日、こういう高台へは誰もわざわざ昇って来ないので、集客施設は無理なのだ。
隣には、横浜市教育会館があり、ここは日教組の拠点で、以前は古びた会館だったが、いつの間にか新築されて立派なビルになっていた。
今や、金があるのは組合のみか。

紅葉坂から見れば、ランドマークタワーを初め、浜銀本社ビル、クイーンズ・スクエア、さらにパシフィコ横浜、そして桜木町駅前に建設中の森ビルの新しい鉄骨などが林立している。
時代は、完全に坂の下の埋立地に移動してしまったのである。
紅葉丘など、お呼びでない。

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