『書を捨てよ町に出よう』

1971年に寺山修司が最初に監督した長編劇映画である。
劇映画と言っても、筋はほとんどなく、ステージで行われた様々な断片的なエピソードやイメージが展開される。

一応主人公らしき「家族」はある。
予備校生で、寺山そっくりの青森弁の抑揚で、寺山の発想で台詞をしゃべる佐々木英明。
戦争犯罪人と言われているが、具体的には何か分からず、ただ小心な中年男の父、これを演じるのは当時共同通信の記者だった斉藤正治。
万引き常習犯のおばあさんは、田中筆子。
そして佐々木の妹で、兎としか話さない少女は小林由紀子。
この少女のイメージは、テネシー・ウィリアムズの『ガラスの動物園』の少女ローラから想起されたものだと思う。

丸山明宏を初め、淺川マキ、虫明亜呂無、鈴木いずみ、蘭妖子など、有名人も多数ワン・カットで出てくる。
人力飛行機を燃やすシーンや、室内からいきなり乾いた田んぼに切り替わるカットなど、イメージの飛躍は素晴らしいが、筋は全く分からない。
ただ、底流として流れているのは、アメリカに支配されている日本への呪詛のごときもの、そして母への恨みである。
これは、どちらも寺山の個人的体験に基づくものであることは、言うまでもない。
現在見ておかしいと思うのは、佐々木の兄貴分の、大学のサッカー部のコーチ平泉征が、複数の女と付き合っていることを、「これからは家族はなくなり、お互い自由に関係するコミューンのようなものになる」と言うところ。
こんな馬鹿なことは、当時も現在もありえない話だが、寺山はもしかしたら、こんなことを信じていたのかもしれない。
だとすれば信じがたいことと言うしかないが。
「書を捨てよ!」と言っても、今の若者は本など持っていないのだから。
この30年間の時代の変化は実に大きい。

寺山修司が監督した劇映画で、一番よくできていて、纏っているのは、やはり『田園に死す』であることを再確認した。

川崎市民ミュージアム

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コメント

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