「国際会議場って、本当に横浜が作るの」

1988年6月、パシフィコ横浜に横浜市から出向し、営業係長として、東京の国際会議主催者にセールスに行き、さんざ横浜にコンベンション・センターを作る「パシフィコ横浜」のプロジェクトを縷々説明して、最後に言われる言葉である。
結局、横浜という一地方都市が、全国を代表するコンベンション・センターを作る発想を誰も信じられなかったのだ。
確かにそうだった。
「もの」が出来ていないのだから。
しかも、作るのは横浜港の中、やっと埋め立て工事が終わった段階だったのだから。

1988年の初夏、会社に出向してきた民間企業から来た人たちをみなとみらいの先端の、今はパシフィコ横浜のインターコンチネンタル・ホテルがある辺りを案内した時の顔は今でも忘れられない。
そこは、やっと埋め立てが終わったばかりで、夏草が生い茂り、ただのコンクリートの岸壁だった。
皆、唖然として、「本当にここに出来るのか」という顔つきだった。

だから、1980年代末のパシフィコ横浜の営業活動と言うのは、つまるところ「完成予想図」、パンフレットを売り歩いていたわけで、「これで本当に出来なかったら、俺たちは豊田商事と大して変わらないな」と嘆いたものである。
先日、桜木町に行くと、駅前にはオータニ・グループが建設中の高層ビル建設が着々と進行し、今年の秋には完成するそうだ。
中は、オフィス、ホテルの他、シネ・コンも出来るとのこと。
みなとみらいエリアは、マイカルみなとみらい、高島町の東宝のシネ・コン、さらに桜木町駅前と映画館でも、首都圏で随一になるようだ。
まさに隔世の感がある。

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