田中さんだった

『アフリカの光』のスタッフの制作補に田中大三さんの名前があった。
この映画は、東宝配給だが、制作は東宝・渡辺企画提携だった。

田中大三さんは、大学時代私の3年上にいて、金持ちの御曹司とのことだったが、物事をはっきり言う豪快な人だった。
去年、金子裕君に聞くと、東宝の田中友幸さんの息子だったそうだ。
田中友幸・中北千枝子夫妻の子だったわけだ。
彼は、大学卒業後、渡辺プロに入ったとのことだったが、こんな映画制作もやっていたのだ。
私が、彼の名前を目にしたのでは、パルコ劇場での『ショー・ガール』シリーズで、彼はずっとプロデューサーだったと思う。
だが、若くして亡くなられたそうだ。

この神代作品は、あまりできは良くないが、萩原健一が、北海道のロケで頑張ったということでは、多分記録に残るに違いない。
金子裕曰く
「所詮は、親父を超えられなかったんじゃないの」だが、それは当然だろう。
ゴジラのプロデューサーを超えるのは、並大抵じゃない。

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