「ジャズって、こんなにつまらない音楽だったの」

1991年7月下旬、パシフィコ横浜のメイン・ホールで、「国連ピースメッセンジャー都市会議」のイベントとして、秋吉敏子とルー・タバキン・オーケストラのコンサートが行われていた。
企画者でありながら、私は一人、この台詞をつぶやいていた。
そこには、「死んだ、形だけの音楽」しかなかった。
「ジャズという形式をなぞっているだけの死んだ音楽」だった。

当時、秋吉敏子も日本での来日公演は少なく、久しぶりの大ホール公演だったようだ。
コンサート前には、娘の秋吉満ちるが、サンダルでコーラをラッパ飲みしてロビーをうろついていた。相当にいかれているな、と思った。
野口久光さんが、お見えになり秋吉敏子と話されていた。

港南台中学校のコーラス、中川耀というチンピラ音楽評論家との対談を挟み、ライブは進行し、1,000人の観客は感動していた。
今は、東京芸大の教授の北沢猛氏も、当時は横浜市都市計画局の課長で「良かった、大感激したよ!」とのお言葉をいただいた。
私も、ビッグ・バンドのライブは、多分大学1年の時のデューク・エリントン以来だった。
だが、死んだような形骸化した演奏だった。
それは、フレーズの呼吸、乗り、と言った極めて微妙なものなので、感じない人は感じなかっただろうが。
だが、私は最初から最後まで、白けっぱなしだった。

思えば、モダン・ジャズ様式も、1950年代に出来、60年代中頃に最高峰に達したのだから、「ポピュラー音楽の寿命はおよそ30年」の法則に倣えば、1980年代には、ほぼ死んでいたのだ。
それ以降、今日も死んだ音楽として無事に第二クラシックとなったのは、当然なのである。
それを、最初に実感したコンサートだった。

そして、8月の「ウォーマッド横浜」になった。

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コメント

  1. joshua より:

    以前にジャズ・プロデューサーの
    石原康行氏(元TBS)から、トシコ・アキヨシがアメリカで受けるのは、あくまでもオリエンタル・ムードのキワモノとしてであり、本来のジャズとしては評価されていないというお話をうかがったことがあります。
    私もトシコ・アキヨシのビッグ・バンド録音は苦手で、かつでNMM誌上で中村とうよう先生が「僕がどうしても理解できない音楽家の1人が秋吉さんだ」と書かれていたのを見つけて、わが意を得たりと叫んだことを思い出しました。

  2. 本当にそうでした
    彼女の有名な曲に「ロング・イエロー・ロード」があり、その日も聞きましたが、まるでフジヤマ・ゲイシャ的な曲で、唖然としたものです。

  3. SS より:

    Unknown
    「ロング・イエロー・ロード」は確かに酷い曲ですが、エルヴィン・ジョーンズの「花嫁人形」に比べれば遙かにマシですw

    そういえば、エルヴィン・ジョーンズのかみさんは、秋吉敏子に風貌・雰囲気が似てますね。
    エルヴィン・ジョーンズのコンサートでは司会にしゃしゃり出てきてウザかった。

  4. ウィーダ より:

    うえっ…
    マンディ満ちるってそんなに行儀悪いんだ…。
    まあ良さそうな感じもしないけど…