映画『明日への遺言』が落としたもの

小泉尭史が監督した映画『明日への遺言』は、黒澤明晩年の淡々病に感染した面白くもなんともない作品だが、ここに描かれていない大変重要なことがある。
問題の日本への「無差別爆撃」を命令したのは、米軍のカーチス・ルメイ少将だが、彼は戦後日本に来て、自衛隊創設にご尽力されるのである。
昨日の敵は、今日の友。
そして、日本国は彼に、自衛隊創設にご功績があったとのことで、なんと勳一等を贈るのである。
なんとも言うべき言葉がない。原作の大岡昌平の『長い旅』には、きちんと書かれている。
つまり、岡田が自分の命を掛けて戦った米軍の無差別爆撃の非人道性は、日本国が否定してしまったわけだ。
日本の反米愛国勢力は、こんなことを許して良かったのだろうか。
それとも、反共産主義のためなら何でも良いと言うのだろうか。
映画は、これを描くと作品が無意味に見えるので表現しなかったと思うが、戦争をする国家というもの非情さを表す意味では、字幕で表現すべきだったと思う。
その方が、岡田の無念さがよく分かったと思うのだ。

映画は、晩年の油の切れた黒澤の淡々病感染作品で、面白くもなんともない。
映画のほとんどが、横浜の地裁の戦時法廷で行われる。
検察官、弁護人、裁判長がすべてアメリカ人なので、台詞は英語で、字幕が付くので極めて見にくい。
開放感も、アクションも何もない映画。

小泉尭史監督は、『雨上がる』で、三船史郎若殿の「世の自尊心が傷ついた」、宮崎美子が井川比左志の藩の重臣に向かい、「あなたたちのような馬鹿ものに、主人のよさがわからくて結構です」の台詞で驚きのように、江戸の封建体制への基礎的教養が不足している。
そして、ここでも淡々主義のつまらなさは本当にひどい。
晩年の黒澤に私淑した小泉君は、この時期の黒澤の悪さのみを受け継いだのだろう。
当時の黒澤の淡々主義は、若い頃の黒澤明の日本人離れしたエネルギッシュな時代を経てからの境地なのだが、小泉君はいきなりそこに入ってしまっている。
これでは、映画は面白くもなんともない。
野球で言えば、高校生がいきなり変化球ばかり投げているようなもので、若い頃はやはり速球で勝負すべきなのだ、楽天の田中マー君のように。

ともかく、こんな程度で客から金を取るなど詐欺に近いできである。
日本映画専門チャンネル

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