東宝の戦争映画はなぜ面白いか

先日、松竹の戦争映画が「しょぼくてつまらなかった」と書いた。
そして、日本の戦争映画と言えば、戦中、戦後も東宝である。
その理由は、「特撮の神様円谷英二がいた」というような単純なものではない。
それは明確で、東宝が戦争中は、軍の下請けの一種の「軍需企業」で、様々な軍の委託映画を作っていたからである。
それを最初に知ったのは、うしおそうじ氏の本『我が師・円谷英二伝』だった。
後に、ピー・プロダクションで、『マグマ大使』等のテレビ映画を作るうしお氏は、1939年に東宝技術課線画課に入る。
そこは、線画、つまりアニメーション等の特殊技術部門で、課長は円谷英二。
そして仕事は海軍からの委託事業で、『水平爆撃法』をアニメと実写で作るものだった。水平爆撃法は、言うまでもなく真珠湾攻撃である。

そこは、次第に拡充され、最後は総員230人の東宝航空教育資料製作所になり、後に新東宝撮影所となる砧第二撮影所を中心に、東宝撮影所の全体の30%にもなる。
つまり、兵隊に、映画で武器使用や取り扱い法を教えるマニュアル映画を作っていたのだ。だから、実物も撮影していたので、『加藤隼戦闘隊』や『雷撃機出動』の特撮作品の機内の映像がリアルなのは当然なのだ。
そこには、玉井正夫、中尾駿一郎、前田実等の優秀なカメラマンがいて、宮島義勇らも参加していたそうだ。
以上は、佐藤忠男さんの『日本映画史Ⅱ』に書かれていることである。

そして、この部門のスタッフは、敗戦後は軍部がなくなったのだから、即不要人員となってしまい、人員整理の対象になる。
そのため猛烈な労働運動の拠点になり、それが東宝ストになるのだ。
戦中、戦後は密接に結び付いているのである。

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