三度目のおバカ映画

家に戻ると、テレビでリメイク版の『隠し砦の三悪人』をやっている。
途中からだが、実に愚かしいできだった。
樋口真嗣監督のこれ、あるいは阪本順二監督で福井晴敏原作の『亡国のイージス』、さらに『ローレライ』などは、実に愚かしい作品だった。
それらは、皆CG、SFX等を多用したアクション大作である。
だが、、皆作品の中心に大きな穴があった。
『ローレライ』は、超能力を利用した兵器のメカニズムが不明で、しかも天皇陛下がおわします帝都東京に原爆を落とそう、米軍と取引する将校が出てくるのだから、唖然となった。
戦前に、そうのような発想の軍人がいただろうか、信じがたい。
戦前の軍人は、日本国民ではなく、天皇陛下を守るために戦ったいたのだが、こんな基本的なことが分かっていないのか、歴史教育が必要である。
また、『亡国のイージス』は、結局は現在の日本は腐敗堕落していて、それを武力で変革しようとする思想が底にあり、全くの馬鹿としか思えなかった。

さて、『隠し砦』だが、これも根本的な勘違いの上にできた映画である。
長沢まさみの姫が、山の民の火祭りを見て、「このように日頃の苦労を祭りで開放するのか」と貧民の貧しさを理解する。
馬鹿か!
「戦国時代の姫様様が、庶民のことなど考えるものか」である。
黒澤明の作品では、姫は自分の犠牲になった下女のことは悲しみ、「われも人間、娘も人間、どこに違いがあろうぞ!」と言う。
だが、これは自分と関わりがあり、身近にいた人間だから出た言葉で、人間一般について言ったわけでない。

ともかく、このリメイク版が根本的に間違っているのは、黒澤明映画に何か思想があり、そこに差別等の今日的中身を付け加えようとしていることだ。
本来、黒澤明に思想性などない。
あるとすれば、「アクションと言う思想」だけである。
アクションにとって思想や理屈は不要で、主人公たちが「ああだこうだ」と言う度に映画は停滞し、アクションが途切れてしまう。
最後は、仕方なく追いかけになるが、『インディー・ジョーンズ』の方が凄いと思うだけである。
ともかく、こういう馬鹿な作品は資源の無駄使いであり、地球環境問題からもよろしくないと思う。
四度目は是非、やめて欲しいものだ。

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コメント

  1. uhgoand より:

    「天皇陛下を守るため」ではなく「國体護持」のため
    帝國陸軍が戦つたのは天皇陛下のためではなく國体護持のため
    天皇そのものを守るということではなかつた それは226の磯部浅一の言動を見れば分かる
    帝國日本のためでもなく日本國民のためでもない

    國体護持すなわち天皇制(封建制維持)のため つまるところ現軍事体制の保持
    結局彼らが何のために戦つたかは次の三点といえる
    ・國体護持(天皇制という封建制)
    ・帝國陸軍という官僚組織の保持
    ・帝國軍人という自らの立身出世

    黒澤映画の真髄は見て面白いこと
    そしてそのための創意工夫独創が素晴らしいまたその時代をよくとらえていること
    黒澤自身の主義主張はあつたかもしれないがそんなことは観客には何も関係ない
    いまの映画作りがつまらないのは今の時代の感覚であの時代をみていること
    その時代を知らなさ過ぎること
    普通の人が何をしていたかどんな考えをもつていたかを知ろうとしていないこと

    戦後も戦前も大正も明治も天保文化文政もみんなつながつているし日本人の本質は何も変わつていない
    その時代の事象雰囲気を知悉して製作していないとだれがやつても いかにすばらしいCGを使つてもこの程度のものしかできないだろう