『かあさん、長生きしてね』

ひさしぶりのフィルム・センターの田中絹代特集。
1962年の松竹作品、原作は大根踊りの創始者加藤日出男で、「若い根っこの会」の実話が基になっているようだ。
青森の十三湖から上京して、東京の洗濯屋に働く勝呂誉は、中華料理屋の出前の少女倍賞千恵子が好き。
倍賞も勝呂が好きだが、同じ店のコックで兄の川津裕介は、勝呂との仲が気になって仕方がない。店主は伴淳三郎で、さすがに芝居が上手い。

彼らが働くのは、神田・本郷あたりの下町的雰囲気で、全体は山田洋次の『下町の太陽』をもう少し甘くした感じであるが、悪くない。むしろ、山田洋次の偽善性がなくて気持ちが良い。

そこに青森で居候している長浜不二夫の家から半ば追い出されて、勝呂の母・田中絹代が上京してくる。長浜らと喧嘩したのだ。
田中は、倍賞の奔走で工場の食堂の賄いの仕事を得る。
勝呂は、倍賞に愛を告白し、倍賞も昔から好きだったと、いずれ一緒になろうと誓い合う。

勝呂の仕事は低賃金、長時間労働、福利厚生などなく信じがたい程ひどく、洗濯屋の因業なババアの清川虹子を嫌い、職人頭の清村耕二はやめてしまう。
そこに、「スケ」と呼ばれる手伝いの職人佐田啓二が来る。
仕事に厳しい佐田啓二だが、彼には職人の誇りがあり、勝呂はその信念と腕に感動し、一人前の職人を目指して頑張ることにする。
この職人的プライドは、松竹大船の職人的スタッフのプライドそのものだろう。
川津義郎は、言うまでもなく川津裕介の兄で、大船では中堅監督で手堅い手腕で、地味だったがレベルは高い。

最後、結核で工場をやめ青森に戻った田中絹代を勝呂は迎えに行き、きちんと健康保険制度で治療することを約して終わる。
松竹大船的ハッピーエンドがまだ有効だった時代の産物であろうか。
この題名だが、一般的には、『かあちゃん、長生きしてね』で、勝呂も「かあちゃん、かあちゃん」と言っているが、『かあさん、長生きしてね』となっているのは、どういうわけだろうか。
「かあちゃん」は、下品でダサいと思ったのだろうか。
洗濯屋の清川虹子もそうだが、川津兄妹が働く伴淳三郎のケチでうるさい妻の清川玉枝も面白くて、本当に笑わせてくれる。
昔の役者は、台詞のタイミングが上手いのに感心する。

帰りの廊下で、おばさんが「いい映画だったわね」と言っていたが、
私もそう思いましたよ。

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コメント

  1. 気ままに生きてみたいもんです より:

    はじめまして!
    懐かしのこの映画! 題名で検索していたら偶然、gooブログのこのブログに辿り着きました。
    涙あり笑いあり 親が子を思い 子が親を思う いい映画でしたね。
    私事ですが 早くに婿入りして実家の母とは その後、行き来もなくなり たまに実家へ顔を出すと 喜んで迎えてくてた母の顔を 思い出します。その母も 肝臓疾患で 去年他界しまして・・・
    昔、テレビで放映された この映画を ビデオに撮ってありまして たまに見ては 映画のかあちゃんと 自分の母と重ねて見ております。
    私も gooブログにて つまらないブログを書いております。
    よろしければ また このブログに 遊びに来させてください。
    突然のコメント 長文 大変 失礼致しました。

  2. いつでもどうぞ
    いつでも見に来てください。
    川津義郎はいい監督だったと思うが、地味で評価の低い人で、テレビに行ったようです。