『別れて生きるときも』

最近、見た映画で最も感動した映画である。
1961年、原作は田宮虎彦、脚本松山善三、井手俊郎、監督堀川弘通で、主演は司葉子、小林桂樹、他に児玉清、芥川比呂志らの男たち。
ひどく不幸な生まれの美女司葉子のたどる数奇な人生というべきか。

昭和の初め、京都から若い人妻の司葉子は、夫芥川の元を逃れて、上京する。
何のあても、仕事もなく行き倒れていた司を助けたのは、小林桂樹だった。
彼は、広告代理店の支配人だが朝鮮人で、司との仲が会社で噂になると、司を別の会社のマネキン紹介所の仕事を斡旋してくれる。

そこで知り合うのが、自転車会社の職員高島忠男で、ある日下宿が近所の彼と共に会社に出勤して、偶然2・26事件の決起部隊のため、地下鉄赤坂見付駅に閉じ込められたとき、高島から求婚される。
彼女は、京都で苦学生児玉清との恋に破れた後、そこに付け込んできた卑劣な教師芥川と短い不幸な結婚があったのだが、初めて幸福を得た日々だった。
彼女の父河津清三郎は詐欺師で、刑務所に何度も入る男で、母の田中絹代は、それに付いていくしかなく、司を捨てた女だった。

芥川は、女学生時代から司に目を付け、児玉と恋仲と知ると、司の親父のことを児玉に暴露して、二人の仲を裂いたのだ。
高島との平凡で幸福な生活の中で女の子も生まれる。
だが、それも戦争と高島の応召、そして九州沖で輸送船の沈没で終わる。
だが、戦後も司葉子は、高島との短い幸福な生活を胸に抱いて生きて行く。

司葉子が美しく、またよく頑張って演じている。
芥川比呂志の、嫌な最初の夫が良い。
ケチで猜疑心が強く、美しい司を放さぬと蛇のように東京まで追ってくる。
悪役は美男じゃないと良くない見本である。
弟の芥川也寸志の音楽が少々泣きすぎだが。

堀川弘通は、普通に考えれば、極めてレベルの高い作品を作った監督だったと思う。
だが、黒澤明の一番弟子と思われたのが不幸だった。
普通の出来では評価されず、かなり良い作品で、やっとまあまあ的な評価だったのだから。
応召するとき、司に黙って社会思想史の研究をやっている、元思想犯の高島は言う。
「こんなことやっても意味は何もないかも知れない。でも戦争で死ぬ前に、どうしても書いておきたいのだ、それが自分の証なのだ」
これは、かなり良い映画を作りながら、まあり評価されなかった作品を作り続けた堀川自身の告白のように見えた。
堀川さん、いずれ歴史は、堀川さんや筧正典さんなど、評価が低い戦後の東宝の監督にも正当な評価が来る時代はいずれきっと来ますよ。

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