北沢猛死す

昨日の朝刊に北沢猛の死が出ていた、56歳、大腸がんだそうだ。
前から具合が悪いとは聞いていたが、噂は本当だった。
彼は、東大の都市工学科を出て横浜市に入り、都市デザイン室等の都市計画局で活躍した。
その後、出身の都市工学科の教授に迎えられた活躍については、知っている人も多いと思うので、地道な仕事もしていたことを書く。
それは、横浜アリーナの設計である。

横浜アリーナは、民間企業が作り、横浜市に寄付する形になっていたが、設計についてはある経緯があり、設計は横浜市で、実は当時都市計画局課長の北沢がやったのだそうだ。
本来の事務の担当課長の金子氏は、とても尊大な人で、「市役所の技術屋なんて大したことない」などと技術屋の面前で公言するような方だった。
そこで、みながそっぽを向くのを、
「そうは言うなよ、と引き止めて設計させたのは俺だったんだよ」と北沢は言っていた。
多分、本当だろう。

北沢と言うと、例の南学と一緒にされるが、この二人は実は全く違う傾向の人間である。
北沢が、そうした地道な仕事も真面目にやる人間だったのに対し、南は本来何もしない、できない人間である。
ともかく南学について、横浜市役所の中でよく言う人間に会ったことがない。
彼がやることは、何時も受け狙いで、内容が全くなく、企画だけで完成せずに終わる。
彼がやったことで、唯一まとまったのは、横浜市大エクステンション・センター、すなはちカルチャー・センターだが、結局はお客が集まらず、今年3月には閉鎖されてしまった。
要は、意味がなかったのだ。
だが、相変わらず彼は、公立大学法人横浜市立大学エクステンション・センター長と名乗っている。
組織がないのに、長がいるとは実に不思議である。
それほど横浜市立大学は、裕福な大学なのだろうか。
この南と北沢は、共同して事務所をやっていたこともあるようだが、いつまでやっていたかは知らない。

横浜市に多くの貢献をした北沢猛の冥福を祈る。

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