要塞地帯

昨日、必要があって戦前の横浜の地図を調べた。
昭和8年の横浜市南部だが、栄区の半分くらいから南は、白紙なのだ。
要は、金沢区、横須賀はすべて「要塞地帯」ということで地図にしていなかった。
だが、こんなこと何の意味もなかった。
アメリカは、すぐに航空写真で精密な地図を作っていた。
そして、横浜大空襲では、500メートルメッシュの地図を作り、そこに人口密度の色分けをして、空襲目標を決めたそうだ。
人口分布は、昭和15年の国勢調査で全部分かっていた。
戦前、戦時中に日本のやっていたことは、実にちぐはぐと言うか、間が抜けていると言うか。

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コメント

  1. uhgoand より:

    参謀本部陸地測量部
    要塞地帯だから白図(はくず)になつているのではなく要塞地帯だから軍事機密上白図に(秘匿)したのではないでしようか
    実測図は敗戦時廃棄処分したとも考えられます
    戦争をするのに地形図は必須のものでしよう それなくして戦争は始められないはずです

    いくらなんでもあの頭脳優秀な帝国陸軍の参謀本部(陸地測量部)がそんな間抜けなことをするとは考えられません
    最低でもスケール(縮尺)1/25000の実測図はあつたと考えるのが至当と思われます

    米軍の500mメッシュ図ですがスケールは判りませんが仮に1/1000とするなら1メッシュ50cm×50cmになります
    ほんとうにこの精度の地形図ならかなり低空飛行の撮影と頻度が必要と思われるが敵国の上空がそれができたかどうか・・・

  2. さすらい日乗 より:

    ありがとうございます
    確かに軍部は持っていたでしょうが、当時の公開されていた地図は白図になっています。

    米軍が500メートルメッシュの地図を作り、そこに人口分布を載せたことは、横浜市史にあったと思います。
    その地図が、どの程度だったかは知りませんが、戦争ですから、壮大なものだった可能性もあるのでは。

  3. uhgoand より:

    参考になりました
    また一つ戦中の事実を知ることができ参考になりました