カバー曲の時代

上海万博のPRソングが、岡本真夜の曲の盗作だと問題になっているが、盗作ではない。
あれは、カバー・ソングであり、岡本の曲に、中国語の歌詞をつけただけである。

だが、日本でも長い間、外国曲をカバー・ソングとして歌い、レコードとして売っていた時代があった。
戦前の洋楽は、みな外国曲で、堀内敬三さんらの秀逸な訳で日本人は楽しんで歌っていた。
エノケンの「俺は村中で一番、モボだと言われた男」の『洒落男』、「狭いながらも楽しい我が家」の『青空』、「砂漠に陽が落ちて」の二村定一の『アラビアの唄』など。
戦後も、ペギー・葉山、江利チエミから中尾ミエ、弘田三枝子あたりまで、歌っていたのは一番は、英語で、二番から日本語で歌うという具合だった。
これは、途上国が先進国から文化を受容するときに一般的に行うやり方の一つである。
まず形式を受け入れ、次に中身を理解する。
そして、次第に自分の物を作り上げる。
カバー曲は、その一過程なのだ。

さらに、考えるべきは、一般的に途上国が先進国の文化、芸術の著作権を無断で使用し、権利を侵害しているように思われているが、音楽について見れば、逆のケースの方がむしろ多い。
サイモンとガーファンクルの『コンドルは飛んで行く』は極端な例だが、先進国の作曲家、プロデューサーが途上国の作品を無断で使用していることは、枚挙に暇がない。
例えば、世界中の民俗音楽のレコード、CDは無数に出ていて、それはそれで良いが、この内どれだけの製作者、録音者が、演奏家、歌手にきちんと使用料を払っているだろうか。払っていたとしても多くは、録音時の一時金に過ぎないに違いない。

あるいは、国ではないが、ジャズのデューク・エリントンの曲は、大部分が彼のバンドのアレンジャーのビリー・ストレーホーンとの共作になっている。
だが、これは本当はストレーホーンが作ったが、親分のエリントンとの共作にして、分け前をエリントンが取ったと解釈すべきだろう。
著作権とは奇麗事ではなく、単純に厳正に行え、と言うのは間違いなのである。

中国のやり方は、多くの場合と同様に愉快ではないが、一方的に批難するのも良くないと思うのだ。
もし、中国に「漢字は中国のもので、その使用の許諾権は中国政府にあるから、今後日本人は漢字使用について許諾を求めよ」と言われたら、いったいどうするのだろうか。

その内、中国の筒美京平が現れるだろう。

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コメント

  1. タバコに火が落ちて より:

    ジャズ・ソング
    最初のジャズ・ソングのヒットは
    カヴァー曲だった。二村定一が歌った。
    彼の初の本格的評伝が刊行。
    『私の青空 二村定一 ジャズ・ソングと軽喜劇黄金時代』。論創社が版元。ジャズでは新顔の人が書いた本だ。菊池清麿氏は近代日本流行歌研究で知られる人。
    ジャズへの言及は如何に。

  2. より:

    ありがとうございます
    二村定一では、毛利真人さんによる伝記も今月に出るので、楽しみですね。
    これは、戦前のジャズ・シリーズCDとも連携しているようです。