大須賀昇、死去

大須賀昇と言っても、もうほとんど知る人もいないであろう。今日の神奈川新聞に、死んだことが載っていた。86歳。

彼は、金沢区から社会党の市会議員として出て当選し、多分3期勤めた思う。全逓出身で、社会党の実力者で、これまた全逓出身の実力者・大久保英太郎さんのお眼がねにかなっての出馬だった。
かなり騒々しい変わった人だったが、市会議員としては中の下くらいで、とくにひどいこともなかった。
カラオケが大好きで、車にカラオケを積んでおり、「歌いながら運転しているので、近寄ると危険」との評判だった。

だが、2期目か、3期目の終わりごろ、大問題が起きた。
当初から期数に約束があったのかは知らない、ともかく大久保さんをはじめ社会党首脳部としては、
「今期かぎりで引退」と決めてしまった。
だが、一度やると止められないのが、なんとかと市会議員である。
大須賀氏は、党の決定に反して次も出ると、同情票もあり当選してしまった。
こういうとき、日本では妙な同情票が集まるものである。
勿論、党から除名されて無所属になる。
それからが大変だった。

特に大久保さんとはことごとく対立し、しばしば大久保さんの人格を攻撃した。
人権擁護委員の推薦のとき、「私をいじめた人が人権擁護委員はおかしい」として市会で演説したのは有名である。
横浜市会の「問題児」になり、議会と行政の双方を困らせ続けた。

だが、市会議員として夫婦で欧州視察に出かけ、ウィーンで交通事故に遭遇してしまった。
これも大変で、事故で生死の境をさ迷い、入院したウィーンの病院まで、国際室のM課長が行き、車椅子で大須賀さんを連れて帰って来たのである。
勿論、その後は全身麻痺で市議会にも出られず、回復せぬまま任期を満了して、引退した。

だが、驚いたことに、その後20年近く生きていたのだ。
私が金沢区役所にいたとき、ある町内会長に聞くと、
「ああ生きているようですね」とのことだったが、ほとんど外出もしないようだった。
昨年、憎っくき大久保英太郎さんも亡くなったので、安心してなくなられたのかも知れない。
一応、金沢区の、横浜市会の「有名人」だった大須賀さんのご冥福をお祈りする。
昔の市会議員には、面白い人がいたものである。

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