斉藤さんに会う

午前中、日枝小学校に投票に行き、出ると「よー、久しぶり」と声を掛けられる。
斉藤さんだった。
私が、最初に入った市会事務局のとき、守衛さんだった人で、交通局市電の車掌から移籍してきた方だった。
「俺は、日枝町だよ」とのこと。互いの元気を祝して別れる。

1972年に横浜市交通局の市電が廃止になった。
そのとき、市電の運転手、車掌は交通局から、各市長部局に移籍してきたが、彼もその一人だった。
その後、国鉄の分割民営化のときも、私は港湾局にいたが、国鉄から若い職員が移籍してきた。
とても真面目な好感だった。
このとき、多分横浜市だけで、20人くらいの職員を受け入れたと思う。
バブル、小泉構造改革以前の日本は、その程度には他人の痛み、苦痛を互いに分かち合おうとの相互扶助意識があった。
それをなくさせたのは、やはり小泉構造改革だと思う。
自分だけ幸福ならよい、他人はどうでも良いという思想である。

民主党は、大敗のようだが、どこと連立するのだろうか。
みんなの党か公明党しかないと思うが、どちらだろうか。

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コメント

  1. 飯田 光雄 より:

    斉藤さんって
     斉藤さんの名前に記憶があります
    。当時の守衛さんの顔が3人浮かびますが、そのうちのどなただったかな。

  2. さすらい日乗 より:

    五郎さんです
    斉藤五郎さんです。
    小柄で、色が黒い、ガラガラ声の大きな人でした。
    思い出したでしょうか。

  3. 飯田 光雄 より:

    思い出しました
     ゴミの片づけもやってくれていた人ですよね。この間久々に同じ1階にいる岩本さんにあいましたよ。