『リア王』

今、新国立劇場では、BeSeTo演劇祭が行われている。
BeSeToとは、beijin北京、seoulソウル、tokyo東京を略したもので、日本・中国・韓国の演劇祭である。以前は、完全に民間レベルで、会場も新宿のタイニイ・アリス等で行われていたが、今年は日本では新国立劇場で開催されている。
実行委員に平田オリザがいるのは愉快ではないが、「演劇の世界が一番国際化が遅れている」と言うのが私の持論で、海外の公演を見るのは発想が違い面白いので、見に行く。

『リア王』は、シェークスピアの名作だが、なかなか難しい戯曲である。リア王に人を得ねばならないからである。
韓国の劇団は、劇団美醜(ミチュウ)というところで、1986年創立というから比較的新しい劇団だが、韓国を代表する劇団らしい。

舞台上に屏風が立てられていて、それが除けられて劇が始まる。蜷川幸雄の『NINAGAWA・マクベス』では、舞台の枠が仏壇で、それを老婆が開けて開幕したが、それに似た趣向である。全体に、蜷川や唐十郎ら、日本のアングラ劇の影響も感じられる。
役者はきわめて上手い。
レベルとしては、文学座、民芸等の日本の最上のクラスの劇団の俳優と同じくらいだろう。

高齢になり、王位を譲ったリアが、一番彼を思う末娘の愛情を理解できず、上の邪な二人の姉の姦計によって死んでしまう話である。老人問題であり、痴呆症の問題でもある。
もちろん、言語は韓国語で、字幕が出るが、本来の台詞の半分くらいなので、人間関係の理解は難しい。
「膨大な台詞のシェークスピア劇を字幕で処理するのは大変なのだな」と改めて思った。
最後、リアの死と引き換えに悪は絶え、正義の秩序が回復して終わる。

音楽は、韓国伝統の楽器によるもので迫力があった。
最後は、曲名はわからなかったが、明らかにアイルランド、ケルトの曲だった。
新国立劇場中ホール

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