『祇園の暗殺者』

1960年代の東映の時代劇の隠れた名作として名高いので、阿佐ヶ谷まで見に行く。
確かに、1962年と言う時代を考えれば、大島渚が『日本の夜と霧』で、木下恵介が『女の園』で描いた反体制的立場にあるもの同士の「内ゲバ」の時代劇版であり、きわめて時代を先取りした作品と言える。
話は、薩摩の剣客志戸原健作の近衛が、自分が殺した目明しの娘北沢典子を知り、家族の悲惨さや、策謀に明け暮れる土佐の武市半平太(佐藤慶で適役)らの姿に絶望し、暗殺に疑問を持ち、苦悩するが、最後は佐藤に扇動された若者たちに自分が暗殺されてしまうと言うもの。

脚本は、後にヤクザ映画や『仁義なき戦い』を書く笠原和夫なので、幕末物で一応主人公は、近衛十四郎や佐藤慶、菅貫太郎らだが、むしろほとんど全員が重要な意味を与えられており、笠原和夫得意の「群像劇」である。
だが、監督が『ひよどり草子』の内出好吉であり、スター映画しか撮れないので、よく分からないシーンがある。
その典型が、豪商の女将木村俊恵で、密かに近衛に思いを寄せているが、主人は幕府方の商人である。
最後の討伐に出たとき、近衛は家の物置に隠れている男女を見て、見逃し、それが近衛が粛清される原因になる。
実はその女が、木村だったことが後に分かるが、この物置のシーン、暗くほんの一瞬なので、女が木村とは分からない。
当時の東映京都の作法から言えば、木村俊恵レベルの女優にアップは不要だが、ここは当然アップが必要だったはず。
その他、脇役の表現が不当に不足していると思う。
その意味で、これは『仁義なき戦い』の先駆けである。

そして、笠原の心情としては、勤皇佐幕と騒いでいる武士とは、無関係に祇園祭りに興じるしかない京都庶民の哀歓であろう。
まさに「帝力、我にあらんや」という、権力には常にひどい目に合わせられながら、しかし権力とは無関係に生きていく庶民である。
何度か出てくる三条河原のセットが良い。さすが京都にある撮影所。
阿佐ヶ谷ラピュタ 近衛十四郎特集

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