『風速75メートル』

大映特撮で1963年製作の1本、監督は田中重雄、主演は宇津井健、叶順子、田宮二郎。
宇津井は、新聞記者で、台風の被害を訴え、デスクの北原義郎からは「台風記者」と呼ばれている。

銀座のビルの屋上に東西製薬のネオン塔が完成し、点灯するのは建設を請け負った丸高建設の社長見明凡太郎の娘叶順子。
そこには恋人の宇津井や、丸高建設の技師菅原謙二、現場監督の早川雄三らも。
だが、菅原と早川が祝杯を上げていると、ネオンが爆発する。
丸高のライバル会社菅井一郎が社長の遠藤組の仕業で、実行したのは配下企業の田宮二郎と高松英郎。
遠藤らは、丸高のネオンの修復工事を様々な手段で妨害する。
この辺は、当時は流行していた産業スパイもの、企業間競争ものだが、ここから一歩出れば、ヤクザ映画である。
事実、田中重雄も江波杏子主演の『女賭博師』シリーズを多数監督した。

田宮と宇津井は、大学の運動部の同級生で、叶をめぐっての三角関係にもなる。
叶は、妙に色っぽい女優でかなり人気があった。

最後、東京を台風が襲い、見せ場の特撮シーンになるが、強い雨と風に耐える男女がうろうろするだけなので、あまりカタルシスはない。
この辺は、特撮と共にニュースフィルムも使われており、そのためにカラーではなく、白黒作品にしたのだろう。

強風で倒れたネオンの前で宇津井は言う。
「これは天災じゃない、人災だ!」と。

今や、事業仕分けで廃止が決められた「スパー堤防」の担当者が聞いたら、泣いて喜ぶ台詞で、かつて堤防整備は本当に必要だった。
1950年代末は、狩野川台風、伊勢湾台風と、台風は毎年日本を襲い、そのたびに甚大な被害が出ていた。

古代からアジアでは、治水と灌漑工事は、支配者の重大な責務で、そこに、それを担う権力として大帝王と大帝国が成立した。アジア的生産様式論である。
昔、日本の建設省も、筆頭局は河川局で、元横浜市長の高秀秀信氏も、河川局長で、建設省のエリートだった。
だが、1960年代以降、河川工事が完備し、次第に河川部門は建設省の主流ではなくなり、都市局がメインになる。
昨日も台風が来たが、国土交通省の長年の整備のおかげか、大した被害はなかったのは、まことに喜ばしいことと言うべきだろうか。
日本映画専門チャンネル

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