安藤元博、5連投

東京6大学野球の優勝決定戦で、斉藤祐樹主将の早稲田が慶応に勝ち、早稲田の優勝が決まった。
そして、この早慶2校による優勝決定戦は、50年ぶりだそうで、前回は1960年の秋である。
このとき、早稲田のエースだったのが、下手投げの安藤元博で、彼はなんと第二戦以外の5試合全部に出て、完投したのである。
そして、この安藤の5連投は、全試合がテレビで中継されたので、私も見た記憶がある。

最近では、今行われているロッテと中日の日本シリーズでも、ロッテの成瀬が中4日で投げたことが珍しいことのように、間隔をあけて登板する。
だが、以前はエースは場合によっては、連日でも投げるのが当然だった。
稲尾や村山には、ダブル・ヘッダーの第一試合に完投して勝ち、第二試合もリードしたので、最後にリリーフして勝利投手になった、と言った、「1日で2勝」などという、信じがたい記録さえあったはずだ。

今は、そんなことは絶対にありえない。
投手の分業制や投球間隔をおいての登板が普通になったからである。
投手寿命から言えば、その方が良いのは当たり前である。
例えば、立教大から南海に入団し二年目には38勝4敗の信じがたい大記録を打ち立てた杉浦忠は、その後は右腕の血行障害に悩み、とうとう200勝できずに終わってしまった。
当時、南海の捕手だった野村は、「杉浦が出ると負ける気が全くしなかった」と言っている。
その4敗と言うのは、南海が序盤に1,2点でリードし、そのままで行き、最後に相手チームに南海の失策等で逆転される、と言ったものだったそうだ。

だが、以前はなぜ超人的な記録が出て、最近はないかといえば、プロ野球選手全体のレベルが向上したことが、その理由であると思う。
プロ野球でも、各チームに超一流の選手はほんの少しで、他は相当にひどい選手が多かった。
セントラル・リーグでも、20本以上ホームランを打てる選手は、巨人、阪神を除けば、複数はいなかったはずだ。
中日は江藤勲、国鉄では佐藤孝夫、広島では森永くらい、大洋では桑田だけだったと思う。その後、外人選手が来て増えるが。

昔、巨人の江川が「3,4,5番のみに全力で投げ、後は手抜きで適当に投げている」と言われた。1960年代のエースは、皆そんなもので、適当に手を抜ける打者が沢山いたのである。

早慶戦5連投の安藤は、東映フライヤーズに入り、1年目は13勝と活躍した。
だが、そこまでで、後は大した成績は上げられなかった。基本的に技巧派で、球威がなかったからだろう。
彼も、すでに56歳でなくなられているが、投げすぎだったからではない。

彼らに比べれば、斉藤祐樹君は、プロでももっと長く活躍できると思う。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする