『あばれ獅子』

勝海舟の父・勝小吉を阪東妻三郎が演じる、大曽根辰夫監督作品。
冒頭に阪妻追悼のタイトルが出るが、この1953年8月の作品が阪妻の遺作になる。

35歳で、隠居した勝小吉は、息子麟太郎北上弥太郎の成長に唯一の希望を託し、町内の顔役として特に仕事はなく、刀剣等の見立てをやっている。妻は山田五十鈴で、子分の一人が桂小金治で、この二人はまだご健在だが、役者で生存されているのは多分この二人だけだろう。

火事と喧嘩が華の大江戸のこと、小吉は、ことあるごとに喧嘩に明け暮れている。
日本映画史上、戦後の男性俳優でナンバー・ワンは三船敏郎だろうが、戦前、戦中は、文句なしに阪東妻三郎である。
その豪快さ、明るさ、スケールの大きさ、そして足の運びに見られる飄逸さ、など他に比べるものはいない。
戦後では勝新太郎がやや近いが、スケールが違うと言うべきだろう。

さて、麟太郎は、島田虎之助の道場での武術の他、蘭学にも精進し、深川に芸者に出ていた娘紙京子とも無事結婚し、孫も生まれる。
孫が生まれたときの阪妻の喜びの顔で、ナレーションになり、その後の海舟の活躍と出世を語って急に終わってしまう。
これは、阪妻が、高血圧で倒れ、1週間で急逝してしまったため、急遽そうなったのだそうだ。
解説の大林宣彦によれば、あまりに急逝だったので、取り残しのシーンもあり、台詞も随分吹き替え補って完成させたそうだ。
この阪妻が倒れた1953年の翌年の1954年には、日活が製作を再開し、戦後最大のスターの一人である石原裕次郎も登場することになる。
また、テレビ放送も始まり、戦前からあった週間朝日やサンデー毎日等の新聞社の週刊誌に加え、週間新潮・文春等の出版社系の週刊誌も発行されるようになり、マスコミが大きく拡大する。
阪妻の死は、日本映画界の戦前の終了と戦後の始まりを象徴するものだった。
衛星劇場

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