日本人論映画 『最後の忠臣蔵』

内容的に言えば、最後のではなく、その後の忠臣蔵である。
四十七士に前夜脱落した武士役所広治がいて、討ち入り後その場を離れた浪士佐藤浩一がいて、さらに大石義雄には隠し子桜庭ななみがいたという話。
カタルシスはないが、できは悪くない。
なにしろ、美術の西岡善信の88歳をはじめ、主要スタッフの平均年齢は66歳というのだから、撮影、照明、衣装等は素晴らしい。
江戸時代の屋内の暗さ、ゆれる蝋燭の灯を再現した照明は誠に見事である。
また、池宮彰一郎の原作を脚本化した田中陽造のシナリオもさすが。
だが、2時間20分は長すぎないか。

前半は、桜庭ななみの、育ての親役所広次への淡い恋心で、多くの観客である高齢者にとって、若い女の子から惚れられるという虫の良い構図になっている。
最後は、桜庭の豪商茶屋四郎次郎の息子山本耕史への輿入れの時の、役所の「花嫁の父」で、これまた涙なくしては、見られないに違いない。
ここで、一番興味深いのは、この輿入れの行列に、元赤穂藩士を名乗る者が次々と現れるところである。

討ち入りのときは、誰も参加しなかったのに、12月15日以降、赤穂浪士への世間の評判が上がった結果、義士の方に参加しようとする。
今も変わらぬ日本人の主体性のなさ、付和雷同性、いいかげんさ、物を考えない幼稚さである。
小泉純一郎の郵政選挙のとき、さらに2年前は、政権交代に熱狂し、今は「民主党がすべて悪い」に傾く。
一口に言えば、民度の低さである。

これは、多分製作配給のアメリカのワーナー・ブラザースの連中の日本と日本人への批評性だろう。
その意味では、江戸時代以来、たった一人の高齢者への「47人の集団テロ」に熱狂する忠臣蔵への愛好と言い、日本人論としてなかなか興味深い作品である。
最後は、勿論役所の腹きりで終わる。これもアメリカ人好みの日本人だろうか。
港南台シネサロン

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