『ロンドン・コーリング』

イギリスのパンク・ロックグループ、クラッシュのリーダーのジョー・ストラマーの伝記DVDである。

1982年1月30日、クラッシュは初めて来日し、新宿厚生年金会館ホールでコンサートをやった。
とても素晴らしいもので、私が今までに見た様々なコンサートの中でも、大変興奮したものの一つである。
当時は、イギリス、アメリカのパンク、ニューウェーブのバンドが沢山来た。
前年には、ポリスが武道館公演をやっていたし、1982年は、プリテンダーズ、マッドネス・バウバウバウ、トーキングヘッズも来日した。
チャック・ベリーが初来日して、横浜スタジアムでコンサートをやったのも、この年の8月で、前座はサム&デイブと忌野清志郎だった。

すでにジョー・ストラマーは、『サンデイニスタ』などというLPを出していたので、ロックには珍しく随分政治的意識の高い人間だな、と思っていたが、その理由が、このDVDで分かった。
彼は、パンクの連中が、労働者階級の出であるのに対して、彼の父はイギリスの外交官で共産党支持者、彼はトルコで生まれ、インド、エジプト、さらにマラウイ等で育った。
そして、私立高校の寄宿舎のに入り、そこに強い反発を持ち、過激な思想に進んで行く。
この辺のことは、イギリスの寄宿舎での「反乱」をテーマにした、当時の映画『if もしも』が使われているが、その他アニメの『アニマル・ファーム』も挿入されている。
そして、彼はアート・スクールに行き、音楽を始める。
ロンドンのスラム街に住み、スラム・スクワッターとして地域運動に参加する。
この辺の若者の動きは、パンク・ムーブメントの根底だったようだ。パンクもただの音楽上の様式ではなく、若者の社会的運動に根源があったからこそイギリス、アメリカで大きな衝撃になったのであることが初めて分かった。
ただ、安全ピンを髪に止め、騒音を出せばパンクになると思っている日本の若者とは次元が違うのである。
クラッシュが解散した後、彼はポーグスのメンバーとして、横浜のウォーマッドの何回目かに来たはずだが、それのことはよく憶えていない。

最後、ジョー・ストラマーが気に入ったものは、キャンプ・ファイアーであり、日本的に言えば焚き火である。
確か焚き火の好きな人間に渡哲也がいて、趣味は焚き火だったはずだ。
ビデオは、焚き火を囲んで、友人たちが彼を回想する形で進む。
1980年代のパンクの意義と衝撃は、今も新鮮だと思う。
その内、彼の『サンディニスタ』を聞いてみよう。

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