水木洋子シナリオ テレビと映画の違い

水木洋子脚本の『もず』と『甘い汗』は、共に松竹出身の豊田四郎と渋谷実によって監督されて映画になり、どちらも女性が主人公で、母と娘の葛藤を描いている名作である。私は、風俗映画の名作として大変好きな映画である。

実は、2本ともテレビでの水木洋子のドラマが先にあったことは知っていたが、内容は知らなかった。
加藤馨の『脚本家 水木洋子』(映人社)で、テレビ版の内容を知ることができた。それによれば極めて意外だった。
テレビ版の『もず』は、文学座のユニット出演、母親は杉村春子、その娘は丹阿弥谷津子で、そこでは何度かの母娘喧嘩の後、家を飛び出た母親が上機嫌で戻って来るところで終わっているそうだ。
映画では、喧嘩の後戻って来た母親の淡島千景が道傍で倒れ、そのまま病気で入院してしまう。
その治療代を得るため、有馬稲子が母親の愛人だった永井智雄に身をゆだねる「親子どんぶり」になってしまうのだが、これは映画で追加されたのだそうだ。

また、映画『甘い汗』では、主人公の京マチ子が、昔の恋人の佐田啓二と下北沢か、明大前あたりで再会し、大笑いのベット・シーンを経て、靴屋の店の乗っ取りの片棒を担がされて騙されてしまう。だが、この佐田啓二の役はテレビでは全くないのだそうだ。
どちらも、女性主人公を痛めつけ、奈落に落し、また皮肉な現実を描く「ブラック・ユーモア」的な視点だが、これはテレビではなく、映画版で追加されたものだったのだ。
これは何を意味してるのだろうか。

それは、監督の豊田四郎、渋谷実からの要請だろうし、また実際の映画の配役に合わせたシナリオの改訂なのに違いない。
また、当時の1960年代初めのテレビ・ドラマでは、ここまでのリアルな表現は許されなかったと言うことなのだろうか。
いずれにしても、テレビと映画の差異をあらためて知らされて興味深かった。

同書には、晩年の水木洋子が書き、心霊術が題材で誰も理解できなかったと言う『悪霊』の粗筋も書かれている。
たしかに異常な話で、新東宝の「とんでも映画」を4倍くらいにしたすごい筋書きである。
読んだ藤本真澄も全く理解できず、白坂依志夫に「これは何だ、俺には全く分からない」と言ったそうだ。
加藤は、当時これを監督できる人間はいなかったと書いているが、今は日本に一人だけいる。
平成の「とんでも映画」の大監督である、かの渡辺文樹である。
渡辺文樹監督には、日の目を見ていない水木洋子脚本を是非とも映画化してほしいと思う。

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