『私は嘘は申しません』

衛星劇場の斉藤寅次郎特集、新東宝が末期の昭和36年に公開された作品。
斉藤は、この後にもう1本新東宝で『大笑い清水港・三ン下二挺拳銃』という映画を作っているが、できたときにはすでに新東宝は倒産して上映ルートがなく、東宝系で上映されたようだ。
同様のものに中川信夫監督の、西村滋原作の『悲しみはいつも母に』があり、これは大映系で公開された。西村滋は、児童教護院の指導員だった人で、石原裕次郎の『ヤクザ先生』、あるいは戦時中の自分のことを描いた『お菓子放浪記』がテレビでドラマ化されている。

彼曰く、「戦争が終わってやっと貧乏人もまともに生きられる世の中になったと思ったら、裕次郎・慎太郎の「太陽族」に象徴されるように、また金持ちの社会になってしまった」と。これは、彼らの世代の実感に違いない。
この戦前の復活は、今に至るまで続いているとも言えるが、もう石原慎太郎は姿を消して良い。

さて、『私は嘘は申しません』は、言うまでもなく池田勇人首相の台詞であり、日本の歴代首相の内、流行語になった数少ない名言の一つである。
映画も、国会での池田首相の演説から始まるが、話はごくつまらないもので、発明に取りつかれている男松原緑郎が起こす騒動で、それに巻き込まれるルンペンが、かの泉和助である。

泉和助は、1960年代前後のボードビルの世界では有名な芸人で、立川談志、さらに内藤陳らがギャグの王様、天才として書いていた。阿佐田哲也も彼の生涯を『懐かしい芸人たち』の中できわめて冷静に書いている。
私も日劇ミュージック・ホールで見たような気もする。
彼は、ボード-ビル、芝居の人間だったので、映画、テレビ出演は大変少なく、その意味では貴重な作品である。
泉と松原が組んで、様々なインチキ金儲けをするが、どれもせこい手口ばかりで、笑うに笑えない。
中では、たぶん永井荷風のことだろうが、有名作家を死んだことにして、葬式を行い、持っている金を詐取しようとするのが、唯一泉の永井荷風の真似が似ていて笑えるくらい。
泉和助は、舞台で見れば別だろうが、表現が暗く、また声がかすれ声で、よく聞こえないのが問題。
その暗さと発散のなさは、テレビ向きではなかった。
彼が、死んだとき、周辺の者が彼のギャグのネタ帳を争ったと言うが、そうたいしたものではなかったと思う。

松原の発明はテレビ電話で、時代を先取りしていたとも言えるが、それが公衆電話(赤電話)に丸い画面を付けたもので、さすが末期の新東宝で美術費がないのだな、と同情してしまう。
最後は、松原の発明がアメリカの研究所に買われ、そのロケットによって宇宙に発射されるというもの。
そのロケットの中から、宇宙を描写し、松原が「私は嘘は申しません」と言っているが、
実はロケットは地上にあり、周辺を出演者が囲んでいるというラスト。
実は、この映画も当時テレビで放映されていて、偶然私もこのラスト・シーンだけは見て憶えていて、ここにどう繋がるのかと考えていたら、やはりそうだった。
ともかく笑えない喜劇の典型だった。

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