美女の怒りに帰結させることの意味は何か  『白夫人の妖恋』

朝、テレビを適当に回しているとCSで豊田四郎監督の『白夫人の妖恋』をやっている。
中国製のDVDも持っていて、以前フィルム・センターでも見ているが、やはり最後まで見てしまう。

話は、中国の『白蛇伝』で、白蛇の妖精山口淑子に魅入られた池部良の悲劇である。
最後は、山口淑子の魔力で、大嵐が起き、津波で町が破壊される。
そこが、円谷英二の特撮の見せ場になっている。
それ以上に監督が豊田四郎なので、話も良くできていて、役者も八千草薫、清川虹子、徳川無声、東野英治郎、田中春男と名優で固めてある。
だが、豊田も、この話には、取っ掛かりがなくてとても困ったらしい。
最後に出した結論が、「貧しい男池部良は、その境遇から抜け出すために山口淑子を信じ恋した」と言うものだったそうだ。

だが、この大嵐や津波が、女性の恋狂いによって起こされる、と言うのは、その女性蔑視はともかくとして、なかなか興味深い考え方だと思った。
この種の話は、日本でも泉鏡花に『夜叉が池』があり、これも美女の怒りによって嵐が起きて、村がなくなってしまうものだ。

中国や日本のようなアジアの諸国では、古代から頻繁に大地震、台風、旱魃等の自然災害があり、それは人々に自然への畏怖、恐怖を与えてきた。
そのとき、その原因、因果関係を美女の怒り(実は動物の化身なのだが)に託して説明するのは、人智を越えた不可思議な力を認識させ比較的容易に理解されたと思う。
その意味では、今回の石原慎太郎知事の「天罰」発言も、こうしたアジア的な迷妄に、彼も囚われていることを証明したといえるのかも知れない。

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