意外にもとぼしい個性 沖山秀子『サマー・タイム』

女優で歌手でもあった沖山秀子が死んだ。65歳。
ビデオ等は持っていないので、CD『サマータイム』を聞く。

1981年に出たもので、渋谷毅が音楽監督とピアノ、その他宮沢明のテナー等の立派なもの。多分、横浜のデイスク・ユニオンのジャズのコーナーで買ったのだろう。

買ったときに聞いたのより、「極めてまともに歌っているな」と言う印象を強く受けたが、それ以上には何もない。
サラ・ボーンやカーメン・マックレー、エラ・フィッツジェラルドら、当時のアメリカの女性ジャズ・ボーカリストによく似せているが、それ以上の個性は感じられない。ライブでは強烈だったそうだが、ここではそうした感じはしない。

沖山秀子と言うと、個性派の典型のように言われて来たが、意外にも個性的な演技はしていないのではないだろうか。
あるいは、個性を上手く表現できる演技術は身につけられなかったと言うべきか。
個性と言うのもおかしなもので、それをただ出しているだけでは演技や表現にはならない。
いかにして普通の表現の中に、少しづつどれだけ個性を上手に出していけるかで決まるのだと思う。
野球の投手で言えば、いかにすごいフォーク・ボールを持っていても、問題はそれをどこで、どう使うかで投手の生命が決まるのと同じである。全球フォーク・ボールではすぐに打たれてしまうのだから。

彼女が、今村昌平の『神々の深き欲望』でデビューし、その後も異常な女ばかりを演じさせられたのは、やはり不幸だったと思う。
あるいは、時には普通の女性を演じる機会があれば、その後は貴重な脇役として活躍できたかもしれない。
それは、かの絶世の美女原節子が、成瀬巳喜男作品で、普通のぬかみそ臭い小母さんを演じていることを見ても分かるだろう。

沖山には、普通の庶民の少々おかしな小母さんという役柄を演じさせたら、上手く行ったのではないかと思う。
黒澤明の『どですかでん』の猛女がややそれに近い気がするが、昔見ただけなので、良く憶えていない。
ともかく、『神々の深き欲望』だけでも、日本映画史に残る女優であることは間違いない。

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コメント

  1. mgdby254 より:

    沖山合掌
    神々-のロケで今村監督とオ〇コしまくった話を思い出しました。←アラカンの本

  2. さすらい日乗 より:

    アラカンは
    アラカンは「フリ○○」女優って言っていましたね。
    よく考えると、それも彼女の演技だったような気もしますが、勿論今村昌平に踊らされた。
    あの映画、意外にも扇千影議員が出ているのです。