『デフレの正体』から「文化不況」を考える

遅ればせながら、藻谷浩介の『デフレの正体』を読んだ。
この本の趣旨を一口で言えば、「経済を動かしているのは、景気の波ではなくて人口の波、つまり生産年齢人口の数の増減である」と言うことだ。
正統派の学者からは、多くの批判があるようだが、1990年代以降、日本、特に大都市の人口が減っていることが、経済の後退の大きな要因であることは正しいと思う。

かつていかに日本は人口が多くかったか、「日本は人口増で大変だ」と言うことが1950年代の映画のテーマになっていることでも理解されるだろう。
川島雄三の喜劇『愛のお荷物』がまさにそのものずばりであり、他にも同種の主題を持つ作品は多い。
戦前の小津安二郎の映画『一人息子』でも、東京で出世していると思った母親の飯田蝶子が、息子日守新一の不甲斐なさに落胆したとき、自分を慰めるときに言う言葉は「東京は人が多いから仕方がない」であった。

ともかく、戦前、戦中、戦後、東京には若い人が多かった。
今井正の隠れた名作に『にっぽんのお婆ちゃん』がある。
これは、偶然浅草で知り合う北林谷栄とミヤコ蝶々の話だが、ここで二人が出会う浅草のレコード屋のシーンが実際に撮影されているが、その人の多さに驚くだろう。
また、話は完全に黒澤明の『天国と地獄』からの頂きの、松竹の『錆びた炎』で、犯人が東京の地下鉄路線を様々に乗り換えて身代金を取る場面。
その地下鉄の乗客の多さに今見るとびっくりするに違いない。
私が就職した1970年代の横浜の根岸線の混み方は、現在の比ではなかったと思う。

そして、藻谷は今後の日本の社会の行くべき方向として、高齢世代からの若者世代への所得の移転、女性の労働への参画、生活保護の充実等を提案している。
さらに生産現場では、従来の少品種大量生産から多品種少量生産への転換がもっと大胆に行われなくてはならないとしている。

これを文化・芸術の問題で言えば、テレビ文化の撲滅になるだろう。
今の日本で最大の文化は、良くも悪くもテレビであり、これは少品種大量生産の典型である。
日本国中で、基本的には地上波でわずか6種類のチャンネルの番組しか流通していないのは、異常以外の何物でもない。

以前、平田オリザが、「今の日本の不景気は、文化に金を使わない結果の文化不況だ」と言ったことがある。
平田の芝居や理屈にはほとんど賛成できないが、これは正しいと思った。
日本のほとんどの大人は、文化、娯楽をほとんどテレビとゴルフで満足してしまうので、それ以外の文化、芸術に消費が廻らないのである。
もっと多様な文化、芸術に大人が向かうとき、日本経済も不況から抜け出せるだろうと私は思う。

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