ミス妙子は、ミス・ワカナだ

先日、書いたナンセンス・コーラスの「ナンジャラホワーズ」、最初に聞いたときはあまり集中して聞いていなかったので、よく分からなかった。
だが、今日イヤ・ホーンで聞くと、リーダーの女性、ミス妙子は明らかに、「ミス・ワカナ 玉松一郎」のミス・ワカナだと分かった。

その強い癖のある節回し、こぶしの利かせ方、話題の転換の上手さと鋭さ、素っ頓狂なおとぼけぶりなど、ミス・ワカナに間違いないと思う。
例えば『びっくりショウ 笑うリズム第三回』の下、「アイルランドの娘」から高勢実乗の物真似の「あのねおっさん 」をやるあたりの上手さ、これは完全にミス・ワカナである。

今回のCDの解説にもあるが、このナジャラホワーズが、戦前、戦後にSPは10枚あるのに、実演の記録が全くないのは、それがワカナの変名だからだろう。
多分、当時ワカナはテイチクに録音の契約があり、それをタイヘイでレコードを作るのに、別のグループ名でやったのではないか。
ナンジャラホワーズは、ワカナの本業の漫才ではなく、「ボーイズもの」なので契約上からも多分、法的に違反は生じなかったと思われるが。
さらに、芸に対して極めて貪欲だったと言われる彼女のこと、当時全盛を極めていたボーイズものに対し、自分もそれくらいはできると挑戦したかったのではないか。
そして、見事にボーイズものから、様々な芸能を披露しており、その天才性をさらに見せている。

1939年に東宝と提携していた吉本興行から、松竹系の新興キネマが「あきれたボーイズ」を引き抜き、新たに作った新興演芸部に、リーダーの川田義雄ぬきで新たな「あきれたボーイズ」を作らせた。
これは、1937年に東宝が松竹から長谷川一夫(林長二郎)を引き抜いたことの報復だった。
新興キネマは、松竹の傍系と言うか、子会社のような存在で、いくら東宝の引き抜きに対抗するにしても、「大松竹が表に立つのはまずい」ので、新興に演芸部を作らせてやれせたと言われている。
この工作を実際にしたのは、伴淳三郎で、その性か、バン・ジュンは、戦後も長く松竹京都の看板スターとして君臨した。

同様に新興に引き抜かれたミス・ワカナに、移籍したあきれたボーイズの周辺にいた者を組み合わせてレコーディング・グループとして録音させたのがナンジャラホワーズではないだろうか。

そして、面白いことに、さすがに第1作目の「笑ふリズム」では、比較的ワカナは、大人しくしていて、他人のように見せているが、次第に彼女の地が出てきて、3作目の「びっくりショウ」では、全面的に彼女の力演となってしまうことである。
この辺は、ワカナにしても、いつもの相方の玉松一郎をやり込める生意気女のワカナという役ではなく、一人の可愛い芸人としてのワカナを認めてもらいたかったのだろうか。ジェンダー論としても興味深いところである。
ここでの相方の、フランク富夫というのが実に面白い。
大変泥くさく、ひどくクセのある芸なのだ。
多分関西の浪花節、あほだら経、万歳といった伝統的な芸人のように聞こえる。

もし、ミス妙子が実在の人物だったとしたら、これだけ芸達者な者を興行界がほっておくはずはなく、絶対に実演をさせたと思う。
そうした記録がないのは、ミス・ワカナの変名だったからだろう。
こうした変名、別名でレコードを作ることは、戦前、戦中ではよくあることだったのだから、別に驚くべきことではない。
皆さんのご判断をお聞かせいただきたい。

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