蔵原惟繕より井上梅次の方が良かった

ラピュタの会員証が切れ手続きもあり、日活特集をやっているので、阿佐ヶ谷まで行く。

蔵原惟繕監督、石原裕次郎、北原三枝主演の1957年の『嵐のなかを突っ走れ』と、井上梅次監督、小林旭、浅丘ルリ子、葉山良二、清水まゆみ、小高雄二、沢本忠雄らの1959年の『群集の中の太陽』である。

結論から言えば、私の大の贔屓の蔵原惟繕作品は、とても退屈でがっかりだったが、大学のラクビー部の小林、葉山、小高、そして沢本が実社会に出て苦労し、成長する、井上梅次の友情物語の方が遥かに面白かった。
井上も、1959年なので、まだ気を入れて作っていたのだろう、脚本、テンポ、音楽の使い方等が大変見事で、さらに小林旭と浅丘ルリ子の演技がとても情感に溢れていてとても良い。

『嵐のなかを突っ走れ』は、石原裕次郎の主演の『俺は待ってるぜ』で監督デビュー作を成功させた蔵原が、『風速40メートル』に続き裕次郎主演作を撮ったものだが、蔵原自身が言っているようにつまらない作品である。
勿論、松浦武郎の脚本がひどく、内房・館山の女子高校に体育教師として赴任してきた裕次郎の話で、これは『若い人』だな、と思うが、さにあらず。
地元の漁場をめぐる争いに巻き込まれ、地方新聞の市村敏幸や北原三枝らと不正を暴くと言うもの。
高校生が清水まゆみと中原早苗らで、清水はともかく中原の高校生はないでしょう、このときすでに22歳なのだから。
後の、鈴木清順の『関東無宿』でも、中原早苗は堂々と女子高生を演じていたが、これは喜劇的設定である。
この作品の失敗の後、蔵原は『われらの時代』『狂熱の季節』というカルト的な作品を作るが全く当らず、再度裕次郎映画に戻り、『銀座の恋の物語』の大成功になる。

『群集のなかの太陽』は、城南大学ラクビー部レギュラー卒業後の、葉山良二はロケットの研究者、小林は新聞記者、小高雄二は父親の遺産で自分で不動産会社を興す。
沢本は大学院で経済学を研究するつもりが、結核で故郷で静養したところから田舎の分教場の先生に、という具合にそれぞれ社会に出る。

葉山のロケット研究と言うのが時代で、当時糸川英夫のペンシル・ロケットなど国産ロケット開発は大きな話題で、科学者の夢だった。
軸になるのは、彼らと築地の料亭の娘浅丘ルリ子との恋で、葉山と一度は婚約するが、浅丘の父が急逝したことから別れ、浅丘は小林からも求婚されるが、最後は葉山のよりを戻すことになる。
この作品の公開時の1959年3月は、まだ旭・ルリ子のコンビは、明確には確立されていなかった。
この年の夏に『南国土佐を後にして』が二人の共演で大ヒットし、これが『渡り鳥シリーズ』になるのだから。
葉山は浅丘と、小高は旭の妹白木マリと、沢本は清水と結ばれ、残された小林旭一人がブラジルに旅立つところでエンド・マーク。
井上は、この手の友情話が好きで、何本も作っているが、さすがに上手い。
阿佐ヶ谷ラピュタ

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