ピンボケ上映で金を取るな!  角川有楽町シネマ

角川有楽町シネマで、森谷司郎監督、1971年の『潮騒』を見た。
三島由紀夫の『潮騒』は、1954年の谷口千吉監督以来、何回も作られているが、この1971年版は、ほとんど上映されない。勿論、ビデオにもなっていなくて、上映されるのも極めて珍しいので有楽町まで行く。
会場は、元有楽町そごう8階のホール。

もともとは、ビデオ・ホールと言い、日本テレビの公開番組中継の会場となっていたところ。
脱線トリオのコントから、青島幸雄の昼の番組まで、ここから中継されていたはずだ。
その後は、映像ホールとなり、記録映画の定期的上映をやっていて、私も会員だった。
『マーチ・オブ・タイムズ』などを見た記憶があるが、その前は、貸しホールで、柴田恭平がデビューした頃の東京キッド・ブラザースの公演を見たこともある。
そごうからビック・カメラに代わり、会場は全面的に改装された。

森谷司郎の『潮騒』は、主人公の男女を公募し、オーディションで決め製作したもので、初枝は小野里みどり、新冶は、朝比奈逸人である。
朝比奈逸人は、演出家・俳優の朝比奈尚行の弟で、彼はこの後も少し出ていたが、小野里みどりは、この後1本も出ていない。
最大の特徴は、小野里の初枝が、完全に上半身裸になることで、他の『潮騒』にはないものである。
もっとも、三島由紀夫は、初枝の裸ではなく、新冶の褌姿を見たかったわけで、この朝比奈逸人の裸は、贅肉がなく、まあ悪くない褌姿であろう。

小野里は、田舎くさい娘だが、吉行和子みたいなルックスで大柄なので、日活ロマンポルノに出ればスターになったと思うが、まったく出ていない。
この作品があまりにヒットしなかったので、落胆したのだろうか。

作品としては、渋谷毅の音楽が、当時のフォーク調で、新しい青春映画を狙ったようだが、作品の時代が昭和20年代なので、1970年代の全共闘の時代と合わず失敗した。
小野里みどりが、裸になったその秋、日活は一般映画から、ロマンポルノに転向してしまうのだから、「上半身裸、それもからみなし」では当らなかったのも当然だろう。

そして、声を大にして言いたいのは、この映画館の上映が最低だったことである。
ピン・ボケで、名手中井朝一の折角のカメラが台無しだった。
特にミディアム・サイズがひどくて、数人が同一画面にいる場面などは完全なボケ・ボケだった。
ヌード・シーンがあるから、ぼかしたわけでもあるまいに。
角川有楽町シネマ

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

コメント

  1. 村石太星人 より:

    芸能研究会(名前検討中 芸能人は スゴイ
    三島 寺島 を よく知らない私です。
    小野里みどり 画像 動画で 見つけれなかったです。1971年。潮騒というと 百恵ちゃん時代です(1975年)。
    東京キッドブラザースで こちら検索しました
    今 動画で シャム猫マーカス ストリートキッド スクランブルエッグ を 聴いていました。懐かしいです。
    サラムムの 南十字星とか君だけでいい とかペルーの野球 霧のマンハッタン 動画ないのが寂しいです。動画の音源も 増えていますね。東京キッドブラザース 歌詞で ウェーブ検索したけれど ないかなぁ
    音楽同好会(名前検討中 東京キッドブラザースを 語る会

  2. 私が見たのは東京キッドは、
    『黄色いリボン』という芝居で、若者が田舎に「コミューン」を作り、それが失敗する話だったと思います。
    柴田恭兵がカッコを付けて芝居していたことと、純アリスが出ていたこと、梶揚子が音楽でオルガンを引いていたことくらいしか憶えていませんが。

    百恵・友和の『潮騒』は良い映画ですが、あれは友和が適役だったということ。
    何しろ日本中から友和の褌姿を見るためにホモの連中が島に押しかけたのだそうですから。

  3. 元横浜在住 より:

    映写について
    この映画、見ました。
    数ある同映画の中で印象深い映画で良かったと思います。
    新人を器用したのでしたね。
    最近の映写は、雑ですね。暗幕も調整しないとか平気ですよ。