楽劇『オイディプス』について

今日は、横浜から東京までさすらってきたところである。
楽劇『オイディプス』を紀伊国屋サザン・シアターで見た。
楽劇というより、愚劇であった。
『オイディプス』に音楽を付けたって良い。だが、劇中にゴスペル風の曲を入れたからと言って、感動が増すわけではない。要は中身の問題なのだ。作品としてみれば、脚本はギリシャ悲劇の名作であり、主演の平幹二郎も蜷川幸雄の演出で何度も演じた役である。妻の鳳蘭も悪くない。脇も坂本長利や(私は嫌いだが)藤木孝もまあプロの役者である。音楽だってそうひどいわけでもない。最後で自らの目をつぶした平が、サックスとギターの伴奏で堂々と歌うのには参ったが。
だが、全く感動も何もないのである。こういう珍妙な劇も珍しい。
なぜひどいのか。結局、少々きつく言えば誰も本気でやっていないからだろう。平は、一人芝居で気持ちよさそうだったが。この劇は平幹二郎の主演・演出だが、彼がやりたいと言ったのだろう。それに様々な人間が賛同して、公演になったのだと思う。
だから、平の演出に誰も逆らえず、また本気にもなれず、で終わったのだと思う。一応まじめにやっているようだが、誰も真剣にやっていなかったように見えた。汗を流さない芝居は虚しい。有料で「寝床」を見せられるのは、たまらないね。
その後、地下鉄大江戸線で森下に行き、軽く飲んで帰ってきた。
なぜ、森下かというと、この辺は昔の深川で、私は東京大田区の生まれだが、料理に城南地区と同じ昔の味がするからである。要は、少々甘辛い味であり、とても懐かしいのである。

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