『撃滅の歌』

昭和20年3月に公開された松竹映画。
監督は佐々木康、昭和14年に音楽大学を一緒に出た轟夕起子、月丘夢路、高峰三枝子のその後を描くミュージカル、ドキュメンタリー的戦意高揚映画。
お嬢様の轟は、クラシックの作曲家増田順二と結婚し、藤原義江率いる藤原歌劇団の歌手として活躍する。
貧しい家の生まれの高峰は、在学中から歌謡曲でバイトしていたが、金のためにジャズメンの細川俊夫と一緒になり、上海に行く。
細川は、次第に米英の悪辣さを知り、密かに特務機関の仕事をしていて、逆にアメリカのスパイに殺される。
高峰は、それを知ってジャズを捨て、固い決意を持って帰国する。

昭和16年12月8日の日米開戦となり、緒戦の勝利が、様々なフィルムで紹介される。
月丘は、奈良で小学校の音楽の教師になっている。
すでに音階は、ドレミファではなく、ハニホヘトイロになっている。

そして、増田順二は決意する。
勤労の歌こそが、自分の音楽だとして、ついに『撃滅の歌』を作曲する。
勿論、米英撃滅だが、実際は日本が完全に撃滅されつつある時だったのだ。

その歌は、炭鉱、造船所、飛行機工場等で歌われ、藤原と轟は、慰問公演に工場を廻る。
藤原義江は、「どんと、どんとどんと波乗り越えてぇー」の『出船』の力強い歌声で、産業戦士を励ます。
造船所で、女工として働いている高峰と轟、藤原は、再会する。
ドキュメンタりー的画面と力強い音楽は、大変に迫力がある。

この「産業戦士のための音楽」と言うのは、ソ連社会主義リアズムの「労働者主義」と同じである。
戦後日本共産党によって指導・推進された「歌声運動」も、むしろこの辺に原点があったと言うべきだろう。
その意味で、ジョン・ダワーの『敗北を抱きしめて』ではないが、日本の戦中と戦後はつながっているのである。

最後、壮行学徒の音楽会で、3人は歌う。
そして、轟は、この日を最後に歌手を引退し、天皇の赤子を育てるために子育て専心することになる。

「撃ちてし止まん 進め一億 火の玉だ」
だが、5ヵ月後の8月15日 日本は降伏する。
その秋、佐々木康は、あの「リンゴの歌」を主題歌の『そよ風』を監督した。

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