『浄瑠璃坂の決闘・第一部』

浄瑠璃坂の仇討は、江戸初期の有名な仇討で、赤穂浪士の討ち入りの参考にもなったそうだ。
原作は直木三十五、監督は二川文太郎と並木鏡太郎の共同監督、カメラも岡崎宏三ともう一人の名があった。

話は、宇都宮藩の重臣奥平家で起きた、「武士のくせに軟弱だ」との岡譲二からの侮辱発言で荒木忍が起こした刃傷沙汰。
主人公は、切腹させられた荒木忍の息子中村扇雀(坂田藤十郎)で、彼を助ける叔父の嵐寛十郎、徳大寺伸など。
敵方には、平田昭彦もいる。
さらにまだ第一部では、本当にどちらの味方なのか、よく分からない浪人大河内伝次郎が暗躍する。
悪玉は、岡譲二、その娘が扇千影で、扇雀とは許婚だったが、勿論破談になる。

要は、ロメオとジュリエットであるが、全体として、ひどく古臭く、サイレント時代の時代劇を見ているような感がする。
それは、多分出てくる武士たちの秩序が、その身分通りであることにある。
そこは、マキノ雅弘の『次郎長三国志』が、清水次郎長以下の全員が平等で、階級性がなく、民主的であることと対照的。
要は、スター・システムで、マキノ雅弘の映画が、昔から群像劇であるのとは、異なっている。

戦後の社会の激変の中で、一番変わったのは、多分序列意識、封建的秩序意識だった。
マキノ時代劇は、やはりその意味では戦前から異端的で、ある意味では「戦後的」だったのだ。
また、黒澤明の時代劇では、完全なリアリズムになるという戦後的新しさがあったのである。

この古風な劇では、鬼伏峠での待ち伏せと乱闘、扇雀の館への悪党一味の急襲、「果たしてその続きは」と言うところで終わる。
こういう終わり方も昔の映画の常套手段。
衛星劇場

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