『太平洋序曲』

やはり芝居は見てみないと分からない。
『太平洋序曲』が、こんなに出鱈目な話だとは、知らなかった。
なにしろ、漂流して救助されてアメリカに行き、日本に戻って来て日米交渉に活躍したジョン・万次郎(山本太郎)は、開国後は攘夷派となってしまい、開国を断行した老中阿部正弘(田山涼成)を暗殺してしまう。開国に反対だった将軍(多分徳川家茂だろう)は、側近の者に、「邪魔だから」と窒息死させられる。

多分、この二つは、井伊直弼暗殺の「桜田門外の変」と、「孝明天皇毒殺説」を混ぜてあるのだろうが、それにしてもあまりの杜撰さに唖然とする。
天皇も将軍も、井伊直弼も阿部正弘も、日本人としてみれば、皆同じで、大差ないというのだろうか。
元々、この劇の初演は1976年で、台本のジョン・ワイドマンは、大学で日本史を研究したと言うが、この程度なのか。
国辱映画と言われた『ショーグン・将軍』よりも以前に、アメリカで作られた劇なので、仕方がないのだろうか。
近年の『ラスト・サムライ』『SAYURI』等を見れば、随分と良くなったと言うべきなのだろうか。
確かにスティーブン・ソンドハイムの音楽は大変美しいが、芸者の描写など、そこら中に誤解と偏見だらけである。

だが、私が一番問題だと思うのは、まさか、鬘代を倹約したわけではあるまいが、出る役者の髪型が、現在のものであることである。
多分、出演俳優のちょんまげ姿に、多くの日本人の観客が違和感を持つからに違いない。
だが、そこにこそ、こういう歴史的題材のミュージカルを上演する意味がある。
つい150年前まで、我々の祖先は丁髷を結い、全員が着物を着て「野蛮人のような」生活していたのである。
多分、それを現在見れば、われわれは当時、異様な風体の日本人を見た西欧人のように、大きな違和を感じると思う。
それが、この150年間の日本の西欧化の結果なのだ。
語り手で、最後は天皇になってしまう桂米団次の台詞の訛りが聞きにくて、きわめて不快だった。

この劇で、唯一意味があったとすれば、演出の宮本亜門の本質が良く分かったことである。
ここには『金閣寺』のようなひどい違和感はなく、その意味では安心して見られた。
宮本亜門の本質とは、主題を扱う際の漫画的な浅薄さとアメリカのミュージカルの通俗性である。
神奈川芸術劇場

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コメント

  1. きっと気になるあんなこと その6

    あらためて「その6」をお送りします。
    この作品は、日本のことを描いているのですが、作者はジョン・ワイドマンさんというアメリカ人。時代考証というか、日本人の私が知らないこんなことやあんなことも取り上げているなんて、すごい!さすが!と絶賛したいこともたくさ….