『祐天吉松』

今月のフィルム・センターは、『生誕100年 森一生特集』
高校3年のとき、市川雷蔵主演の『忍びの者・伊賀屋敷』で感動して以来の森一生ファンなので、今月は宝町通いになる。

今日は、監督デビュー作1936年の『仇討膝栗毛』と1939年『お伊勢詣り』、2作目の1936年『祐天吉松』と1939年『鬼あざみ』 いずれも新興キネマ京都作品。
ただし、『仇討膝栗毛』の半分の巻は音がなく、『祐天吉松』は、途中の重要な1巻がまるまるなし、『鬼あざみ』に至っては、たった14分しかないと言う代物。日本の映画の保存はひどいが、特に京都の弱小プロダクションだった新興キネマなどは、さらにひどいのだろう。

中では、『お伊勢詣り』と『祐天吉松』が面白かった。
『お伊勢詣り』は、キネマ倶楽部にもあり、前に見たことがあるが、やはりミス・ワカナが圧倒的にすごい。
『金色夜叉』の「熱海の海岸、散歩する寛一、お宮の二人連れ  」を中国語(シナ語と言っている)で歌う十八番を披露する。
CDでは、聞いているが、映像で見るとさらにすごい迫力。
昭和14年なので、他の演者にも、蒋介石の悪口など中国への蔑視が露骨に出てくるが、時局柄仕方のないところだろう。

『祐天吉松(ゆうてん きちまつ)は、講談ネタだが、スリの仲間に入った吉松(市川右太衛門)が、豪商加賀屋の娘(松平龍子)に惚れられて婿入りし結婚するが、昔の仲間の一人がゆすりに来る。
店に迷惑を掛けてはいけないと、吉松は旅に出て、6年後に江戸に戻ると、店は焼け、両親も死んでいる。
この吉松が江戸を去るところが、1巻分抜けているので、その心理が良く分からなかった。

最後は、子供、妻と再会し、昔の経師屋をやり、家を襲った昔の仲間も見つけて復讐すると言うもの。
右太衛門は、戦後の『旗本退屈男』の大げさな芝居しか見たことがなかったが、結構渋く普通の芝居をしている。
市井の職人という感じが良く出ている。
松平龍子と言うのは、大変な美人だが、台詞がど素人。

全体の感じとしては、歌舞伎の世話物で、よく考えてみれば、森一生の感じは、世話物時代劇である。
大げさな芝居ではなく、さりげない江戸庶民の哀歓と言う感じの。
フィルム・センター

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

コメント

  1. なご壱 より:

    Unknown
    松平龍子は、目がぱっちりしたなかなかの美人でしたね。子役が良かったです。